愛憎半ばする人の自死。どう感情を整理すればよいのか
最愛の人を自死で失うことはとても辛いことですが、愛憎半ばする人、関係がこじれたままの人が自死で亡くなり、自死遺族となった場合には別の苦しみがあります。
- 暴力
- 精神的虐待
- 性的虐待
- ネグレクト
- 育児放棄
- 不倫など異性関係
- 金銭問題
- 人格障害、など
親や兄弟姉妹、または配偶者が、上記に当てはまるような行動を取るような人であり、「自分との関係性が壊れている」、または「表面的には問題なく見えるが実体は壊れている」というような場合です。
何故複雑なのかというと、「そもそも愛憎半ばする人の自死をどのように受け入れればよいか」が、一般的な場合と大きく異なるからです。
例えば、問題のない家族が自死した場合、周囲の人はあなたのことを最大限気遣ってくれます。そして、その気遣いをそのまま受け止めることができます。
そしてこれが、関係に問題のある家族が自死した場合、周囲の気遣いをそのまま受け止めることはできません。
関係が悪かった家族に対して持つ複雑な感情は、一般的な自死遺族の感情、「悲しい」「寂しい」「悔しい」「自責の念」といった感情だけでは片づけられないからです。
複雑な感情となっている自分を責めず、無理をしない
どのような複雑な感情が生まれるかを、いくつか例を挙げて見ましょう。
- 長らく家庭放棄していたが、数年に一度会っていた父親が自死。されたことは嫌なことばかりのはずなのに、思い出されるのは小さいときによく遊んでもらった記憶。
- 毒親だった母親が自死。これまで忘れていた楽しい記憶が思い出されるとともに、おぞましい記憶も同時に呼び起されてしんどい。
- 迷惑をかけて好き勝手生きてきた兄弟姉妹が自死。ある種冷めた目で見ている反面、自分に何かできたのではないかとも思えてしまう。
- 家族が亡くなったことを知人に告げると、「それは悲しいでしょう」「大変でしょう」と言われるが、その言葉をまっすぐに受け取れない。
- 感情の折り合いをつけて、ほどほどの距離を取って生きてきたはずなのに、精神的に強烈に揺さぶられる。
「悲しい」「寂しい」「悔しい」「自責の念」といった一般的な自死遺族に加えて、過去の良かった記憶と悪かった記憶の想起、純粋に悲しめず、かといって無視や憎しみだけで片付けることもできない感情、そしてそんな感情に振り回されている自分が心底嫌になる。といった具合です。
そして、こうした感情を誰にも打ち明けることができない、また打ち明けたところで理解されないという方も多いです。
例えば、子供を意のままにしてエネルギーを吸い取って生きる「毒親」について理解がない人からすると、親というのは「愛情を惜しみなく注いでくれて、子供の夢を後押ししてくれる尊敬できる存在」で、親の愛について疑ったことすらありません。
よって、こうした人に「毒親の自死と、その苦しみ」について話したところで、「親は絶対にあなたのことを愛していたはず」といった的外れな返答をされ、こうした会話そのものがさらに失望感を深めていくのです。
ここで大切なのは、まず「自分が込み入った複雑な感情を持っていることを認めて、それを責めない」ことです。
家族や近しい人たちと良好な関係を築くことができれば、それはとてもよいことですが、とはいえ、自分の努力とは全く別なところで人間関係が壊されてしまう、従属的な人間関係が作られてしまうことは、近しい人だからこそある話です。
そうした関係と自死によって引き起これたがゆえに、複雑な感情が生まれていることを認め、そしてその人間関係について自分を責めないようにしましょう。
そして、どのように感情の整理をつけるかについてですが、急ぐ必要はありません。
「このように位置付けた」「こう理解することにした」と、強引に感情を一方向に固定化させる必要もありません。
「良かった思い出」「悪かった思い出」を繰り返し想起することは苦しいですが、強い苦しみから脱して、こうした矛盾する感情を併存させることができる日が必ず来ます。