親
自死遺族に対する「アドバイス」に価値はない | シンパス相談室
自死遺族となり、大きな悲しみや苦しみの中にいる人に対峙すると、善意で「何とかしてあげないと」「回復への道を探してあげないと」「客観的な視点でアドバイスしないと」と思ってしまいがちです。 しかし、それは違うよ、という話をさせていただきます。 他人の「アドバイス」など聞きたくはない アドバイスという意味をGoogleで調べると「助言。また、忠告や勧告」とありました。助言、忠告、勧告というのは、要するに「こうしたほうがよい」「こう考えたほうがよい」というように、行動や思考の変化を促す言動です。 では、なぜ自死遺族に直面行動や変化を促す必要があると感じるのか、というと「これまでの人生で経験したことない大きな悲しみ、苦しみの中にいる」のが明らかだからです。 「苦しみが少しでも減って欲しい」「悲しみを癒すことを何かしてあげたい」と思う家族がやってしまいがちなのが、まさにアドバイスです。 行動のアドバイスはこのようなものです。 家の中にばかりいると、体調が悪くないので外に出て運動でもしたほうがよい。 食事のバランスが悪いので、しっかり食べたほうが良い。 夜はしっかり寝られるように、昼間少しでも活動したほうがよい。 何かできそうなことを毎日やったほうが良い。 そして、思考や精神に関するアドバイスはこのようなものです。 亡くなった故人は、自分の意思で旅立ったのだから、あなたの責任ではない。自分を責めるのはやめて。 亡くなった故人のためにも、しっかりしないと。 悲しんでばかりいると、精神を病むので、精神をリフレッシュしないと。 こうしたアドバイスは善意によってなされます。しかし、ほとんど全て意味のないだけではなく、有害なのです。 辛い状況にいる自死遺族からすると「そんなことは分かっている。でも、動けないから、精神を変えられないから苦しいのだ」というのが本音です。 アドバイスするのを我慢して、傾聴する 必要なのは、自死遺族の苦しみを繰り返し聞いて、その辛さを自分の中で再現して、共感することです。傾聴とも言います。 「傾聴」をGoogleで調べると「(耳を傾けて)熱心にきくこと」とあります。 そうです。必要なのは、「耳を傾けて熱心に聞くこと」が先で、「相手を救おうとする使命感から意見すること」ではないのです。 特に男性の多くは、「問題がそこにある → 問題の解決策を考える → 提案する → 試行錯誤しながら問題解決する」と、仕事のように考えてしまいがちです(論理的な問題解決を日々行っているビジネスマンほど、こうした考えに容易に陥ってしまいます)。 ただ、自死遺族の苦しみは感情からきています。論理的に問題解決できるものでもありませんし、客観的、普遍的な解決策があるわけではありません。 よって、まずはアドバイスをあきらめましょう。周囲にいる人が知恵を絞ったところで、光り輝くような解決策が出てくることはまずありません。 解決策を考える代わりに、「アドバイスしなければ」「解決策を考えなければ」という思いを取っ払って、「相手はどのように苦しいのだろうか」という思いで話を聞きましょう。 話を聞いて、その言葉からどのような苦しみや悲しみが背景にあるかを想像し、相手がこのように感じているのだろうな、という思いを再現して、口に出してみましょう。 表面に出ている言葉は、自死遺族の苦しみや悲しみの氷山の一角です。氷山の下には、もっと大きく強い感情があります。 その感情に思いを向け、感じて、そんな苦しみや悲しみの最中にある相手がどれだけ辛いかに思いをはせて共感するのです。 例外的に、アドバイスが必要な場面 自死遺族と対峙する際に、基本的にアドバイスは不要です。アドバイスが必要な状況は、以下の2つに限られます。 1.肉体的、精神的状況が平時と比べて、著しく悪化しているとき このような状況では、客観的に「普段と比べて体調が悪いみたいだから病院に行こう」「薬を飲もう」というアドバイスが必要です。ポイントは「平時と比べて著しく悪い」ということです。 普段から、むやみやたらと、病院とか薬という言葉を出すべきではありません。傾聴に疲れたから、言うことに困って病院や薬を促すのでは逆効果です。 2.自死遺族本人が「アドバイスしてほしい」と言ったとき 普段はアドバイスがほしいと言わないのに、ごくまれにアドバイスを求めてくることがあるかと思います。こうした状況では、アドバイスをしましょう。 ここで大切なのは、二段飛び、三段飛びのような、難しい行動を促すアドバイスをしないことです。 「自死遺族となる前はこうしたことができていた」と、肉体的精神的に好調だった時にできていたことを、そのまま「やってみよう」などと言わないことです。 自死遺族の方の現在の状態を見て、小さな一歩を踏み出すための「小さな行動の変化」を促すアドバイスをしましょう。
自死遺族の、怒りを伴う感情のジェットコースターに寄り添う | シンパス相談室
支える人に怒りが向けられる さて、これまで繰り返しお伝えしてきた通り、自死遺族の感情は「悲しみ」「自責の念」だけではなく、より複雑な感情が表出します。例えば、「自分に対する怒り」であったり、「周囲の人に対する怒り」であったりします。 この中には、「あなたが、あの時こうしていれば、助かったかもしれない」的な「もしも」の話もありますし、「自死で私はこんなに苦しんでいるのに、あなたが平然と毎日を送っていることが腹立たしい」といった八つ当たり的なものもあるかもしれません。 しかし、これはおかしなことではありません。自死遺族の感情は、ジェットコースターのようなものです。アップダウン、だけでなく、うねり、もあります。 嘆き悲しんだかと思ったら、今度は支える側の自分を攻撃してくる、そして自責の念について語った後で、今度は故人に対する怒りが表出する。そして、同じことを繰り返す、といった具合です。 支える側からすれば、「辛さを受け止めたい」「回復してほしい」というポジティブな感情でサポートしているはずなのに、時にはいわれのない理由から攻撃されることもあります。 自死遺族を支える大変さは色々な側面がありますが、「感情のジェットコースター」、特に「時には支えてくれる周囲の人を攻撃するほどの感情が表出する」ことは、支える側からすると最も大変なことの一つではないかと思います。 「自分は、回復を信じて善意で支えているはずなのに、なぜ攻撃されねばならないのか」と、時にはウンザリしてしまうこともあるでしょう。 怒りはずっと続くわけではない 自死を教唆したのでもなければ、自死した方の周囲の特定の人物に明確な責任がある場合はほとんどないでしょう。 論理的に言えば、支えてくれている周囲の人に怒りをぶつけることは「お門違い」「八つ当たり」です。 しかし、この感情のジェットコースターに振り回されて、あらゆる感情が繰り返し繰り返し表出している自死遺族は、支える人よりももっと辛い思いをしているのです。 自死遺族の方は、支えてくれる人に怒りをぶつけたくて、そうしているわけではない、でも、こみあげる感情を抑えられないのです。そして、感情を抑えられない自分にも嫌気がさしてしまうのです。 とはいえ、こうした怒りを受け止める周囲の方の苦労は大変なものです。いつ、どのような感情が表出してくるか分からない自死遺族に寄り添って、全て受け止めなければならないためです。 特に配偶者の方は大変だと思います。 しかし、もちろん希望はあります。 こうした強い怒り、支えてくれる人に向けた怒りや攻撃はずっと続くわけではありません。 あらゆる感情を表出させることを繰り返していく中で、自死遺族の方は自分なりに愛する人の自死を位置付ける、受け入れていきます。 受け入れるには、数年かかる場合もあれば、もっと長い時間が必要な場合もあります。 しかし、周囲の人に対する、怒りを伴う感情が表出し続けるのは、自死から数カ月から1年程度であることが多いです。 愛する人の自死を受け入れるには、もっと長い時間が必要ですが、急性ともいえる感情のジェットコースターはそこまで長期間続くわけではないのです。 よって、数カ月から1年程度のジェットコースターのような期間は、自死遺族を支える周囲の方は「怒り」に対して「怒り」で反応するのではなく、「怒り」に対して「愛情」「共感」で反応するように努めてください。 支える側の辛さを話し、共感してもらうことが必要 とはいえ、「怒り」に対して常に「愛情」「共感」で反応することは難しいです。 これを繰り返していると、支える側のストレスが溜まってしまったり、精神的に追い詰められることさえあります。 もし、あなたが特に好きな趣味があるのであれば、あえて時間を取って趣味などでストレスを発散してください。 また、趣味をしてもストレス発散できない、そこまでの趣味はないという方は、自分の辛さを話せる相手を見つけてください。 ここで大切なのは、「ああしたほうがいい」「こうしたほうがよい」というアドバイスを出す相手は適任ではないということです。 男性に特に多いのですが、辛い話をされるとすぐに「解決策」を探し求めてしまう人がいます。もちろん、これは善意です。 しかし、ちょっと話を聞いたくらいで大きく事態が変わるようなアイデアは出ませんし、むしろそうした解決策の押しつけは「支える側の辛さに共感する」のではなく「事実にどう対応するか」という感情の面が抜けた対応になってしまいがちです。 よって、仕事での優秀さのような「問題解決力が高い」人ではなく、話していると安らぐ「共感力の高い」人に話を聞いてもらいましょう。 「大変ですね、よく頑張っていますね、すごいとおもいますよ」。 こういう言葉だけでも、支える人にとっては大きな救いになったりするのです。
関係がこじれている人が自死。どう受け止めるか | シンパス相談室
愛憎半ばする人の自死。どう感情を整理すればよいのか 最愛の人を自死で失うことはとても辛いことですが、愛憎半ばする人、関係がこじれたままの人が自死で亡くなり、自死遺族となった場合には別の苦しみがあります。 暴力 精神的虐待 性的虐待 ネグレクト 育児放棄 不倫など異性関係 金銭問題 人格障害、など 親や兄弟姉妹、または配偶者が、上記に当てはまるような行動を取るような人であり、「自分との関係性が壊れている」、または「表面的には問題なく見えるが実体は壊れている」というような場合です。 何故複雑なのかというと、「そもそも愛憎半ばする人の自死をどのように受け入れればよいか」が、一般的な場合と大きく異なるからです。 例えば、問題のない家族が自死した場合、周囲の人はあなたのことを最大限気遣ってくれます。そして、その気遣いをそのまま受け止めることができます。 そしてこれが、関係に問題のある家族が自死した場合、周囲の気遣いをそのまま受け止めることはできません。 関係が悪かった家族に対して持つ複雑な感情は、一般的な自死遺族の感情、「悲しい」「寂しい」「悔しい」「自責の念」といった感情だけでは片づけられないからです。 複雑な感情となっている自分を責めず、無理をしない どのような複雑な感情が生まれるかを、いくつか例を挙げて見ましょう。 長らく家庭放棄していたが、数年に一度会っていた父親が自死。されたことは嫌なことばかりのはずなのに、思い出されるのは小さいときによく遊んでもらった記憶。 毒親だった母親が自死。これまで忘れていた楽しい記憶が思い出されるとともに、おぞましい記憶も同時に呼び起されてしんどい。 迷惑をかけて好き勝手生きてきた兄弟姉妹が自死。ある種冷めた目で見ている反面、自分に何かできたのではないかとも思えてしまう。 家族が亡くなったことを知人に告げると、「それは悲しいでしょう」「大変でしょう」と言われるが、その言葉をまっすぐに受け取れない。 感情の折り合いをつけて、ほどほどの距離を取って生きてきたはずなのに、精神的に強烈に揺さぶられる。 「悲しい」「寂しい」「悔しい」「自責の念」といった一般的な自死遺族に加えて、過去の良かった記憶と悪かった記憶の想起、純粋に悲しめず、かといって無視や憎しみだけで片付けることもできない感情、そしてそんな感情に振り回されている自分が心底嫌になる。といった具合です。 そして、こうした感情を誰にも打ち明けることができない、また打ち明けたところで理解されないという方も多いです。 例えば、子供を意のままにしてエネルギーを吸い取って生きる「毒親」について理解がない人からすると、親というのは「愛情を惜しみなく注いでくれて、子供の夢を後押ししてくれる尊敬できる存在」で、親の愛について疑ったことすらありません。 よって、こうした人に「毒親の自死と、その苦しみ」について話したところで、「親は絶対にあなたのことを愛していたはず」といった的外れな返答をされ、こうした会話そのものがさらに失望感を深めていくのです。 ここで大切なのは、まず「自分が込み入った複雑な感情を持っていることを認めて、それを責めない」ことです。 家族や近しい人たちと良好な関係を築くことができれば、それはとてもよいことですが、とはいえ、自分の努力とは全く別なところで人間関係が壊されてしまう、従属的な人間関係が作られてしまうことは、近しい人だからこそある話です。 そうした関係と自死によって引き起これたがゆえに、複雑な感情が生まれていることを認め、そしてその人間関係について自分を責めないようにしましょう。 そして、どのように感情の整理をつけるかについてですが、急ぐ必要はありません。 「このように位置付けた」「こう理解することにした」と、強引に感情を一方向に固定化させる必要もありません。 「良かった思い出」「悪かった思い出」を繰り返し想起することは苦しいですが、強い苦しみから脱して、こうした矛盾する感情を併存させることができる日が必ず来ます。
どうすれば自死を防げたのか延々と考えてしまう | シンパス相談室
悲しい、苦しい問いだと分かっているが繰り返し考えてしまう 大変に悲しいことですが、自死により亡くした人は、いくら努力しても戻ってきません。 しかし、「どうすればこの自死を防ぐことができたのか」という問いを、何度も繰り返し考えてしまう自死遺族の方は少なくありません。 もちろん、自死遺族の方は、こうした問いを繰り返しても愛する人が戻ってくるわけではないことは、分かっています。 また、「どうすれば防げたのか」という問いを繰り返すことで、「防げなかった自分」に対する自責の念を強める、つまり考えれば考えるほど辛い思いになることは分かっています。 そして、こうした辛い場面に直面した家族や友人は、 「そうしたことを考えても愛する人は戻ってこない」 「考えれば考えるほど辛くなるだけ」 「愛する人は亡くなっても人生は続く。考えずに済むようになるといいね」 などといってしまう場合があります。 しかし、こうした回答は全て間違いです。 悲しい、苦しい問いだが、避けられない、避けるべきでない問い 命が戻ってくるわけではないのに、「どうすれば防げたのか」について考えるのは意味がないのでしょうか。 いいえ、そうではありません。 「どうすれば防げたのか」という問いを何度繰り返しても、納得のいく回答はありませんし、自責の念が増すことも多いでしょう。 しかし、こうした問いを繰り返すことは、自死遺族にとって避けられない過程なのです。 考えれば考えるほど辛い、考えれば考えるほど過去の自分を呪いたくなる、過去の不作為を恨めしく思う、それが「どうすれば防げたのか」という問いです。 しかし、愛する人との関係、その時の状況、自分ができたこと、できなかったことなどを、ひたすら洗い出して考えることこそ、愛する人の自死から逃げずに直面している証拠です。 愛している人を失ったから苦しい、その責任の一端が自分にあるかもしれないと思うともっと苦しい、でも繰り返し、繰り返し考える。 考えてもすっきりする回答が出ることはない。それでも考える。繰り返し考える。苦しい。辛い。 こうしたことを繰り返していると、起きているときも、寝て夢を見ているときも「どうすれば防げたのか」と考えていることさえあります。 しかし、「どうすれば防げたのか」という問いに逃げずに直面して考え続けているということは、愛する人の自死を受け入れて、その後の人生を歩んでいく第一歩です。 答えの出ない問い、どれだけ考えても変わらない現実に直面して苦しんだからこそ、自分なりの理解、受容が生まれるのだと私は思います。 考えることを否定しない。話を聞く。ただ体調には気を配る 自死遺族で最もダメージを受けた方を支える家族には何が必要でしょうか。 大切なのは、「否定せず話を聞く」ことです。 考えても考えても変わらない現実、それでも考えてしまうということについて、否定したり、別な行動を促したりするのではなく、話を聞いて共感しましょう。 いつ、どのような状況を振り返って、どのような感情が生まれているのか、その思いをどのように受け止めているのか、どのように辛く感じているのかです。 話を聞く際には、「自分だったらどう感じるか」ではなく、「相手の感情を再現して、相手と同じように感情を動かして感じる」ことが大切です。 決して自分の尺度で、相手の辛さや苦しみを測ってはいけません。 自分は辛くない、自分はこう考える、自分はこう解釈した、こうすればよい、といった「自分目線」の話や行動を促すことは何の役にも立ちません。 ただじっと、辛い話を聞き、共感しましょう。 唯一気を付けて欲しいのは、「どうすれば防げたのか」という問いに苛まれて精神のバランスを崩したり、極端に食べなくなっている場合です。 精神のバランスを大幅に崩すのであれば、考えることをやめるのではなく、投薬などで「一時休止」することも必要になるかもしれません。 また、食べなくなっている場合は肉体的な健康を損ねるので、一緒に食事をとるなど、食べさせる手助けを行いましょう。
自死した配偶者の親族に追い込まれる | シンパス相談室
「あなたのせいで子供が死んだ!」と責める義両親 配偶者の自死に直面した場合の夫、または妻の苦しみは非常に大きなものです。「自分の何が悪かったのだろうか」「どうして打ち明けてくれなかったのだろうか」「なぜ気づけなかったのだろうか」といった自責の念だけでなく、「今後どのように暮らしていこうか」「どのように子供を育てていこうか」「経済的に生活は成り立つのか」といった具体的ですぐに対処しなければならない問題にも直面します。 そして、ここで家族のサポートが得られるのであれば心強いですし、苦しみは減りはしませんが緩和されます。または、助けてくれる人がいない場合は、大変な状態ではありますが、新たな苦しみが作り出されることはありません。 最も大変なケースは、義両親といった配偶者側の親族が敵に回って攻撃してくることです。そして、これは少ないケースではありません。 配偶者の親、つまり義両親からすると生まれたときから育ててきた子供が、独立して、結婚して、そして自死を選んでしまったという大きな衝撃があります。夫や妻を失った配偶者も自死遺族ですが、子供を失った義両親もまた自死遺族です。 もし、義両親と残された配偶者との関係が良ければ、お互い自死遺族になって自分自身のことだけでも大変ではありますが、残された自死遺族同士という絆が生まれます。比較的早くに回復した人、または衝撃が相対的に大きくなかった人が、回復に時間がかかる人をサポートする、傾聴するといったサポートに回ることができます。 しかし、義両親と残された配偶者との関係が良くなかったり、義両親が子供の自死について過度に攻撃的になるような場合、残された夫、または妻が攻撃されることになります。 つまり、「子供が死んだのは、配偶者であるあなたのせいだ」「あなたがしっかりしてなかったから、子供は自死しか選べなかったのだ」と言葉で責めたり、「どう責任を取ってくれるのだ」といった脅迫まがいの攻撃をされることもあります。さらには、何かしらの理由を付けて裁判を起こされることさえあります。 こうした攻撃によってもたらせれる苦しみは、文字通り「地獄のような苦しみ」です。そして、こうした義両親からの攻撃がゆえに、自死した配偶者に対する怒りが非常に強くなるケースが多いのです。 義両親の攻撃を止めさせる方法はないが、助けを求めることはできる 子供が自死を選んだ苦しみから、残された配偶者が攻撃される。ただでさえ配偶者の方は自責の念が強いのに、です。 はっきり言ってこれは大変に理不尽な状況ですが、非常に少ないケースとも言えないのです。 こうした場合、残された配偶者の方が、怒り狂っている義両親に頭を下げて、「自分が悪かった、私のせいです」などと自分で責めることは、回復を遅らせるだけでなく、自責の念を強めることで精神的なバランスを崩したり、「もう生きていたくない」といった更に悪い方向に進んでしまいがちです。 必要なのは、さらなる自責ではなく、自分を守ることです。 もし義両親と距離を置けるのであれば、できるだけ距離を置くようにしましょう。ただでさえ苦しんでいる、残された配偶者の方にとって一番大切なのは、自分を守ることです。愛情や理解、共感ではなく、攻撃してくる人とは相互理解し合えることは難しいのです。 (念のためですが、こうした場合、時間をおいて最終的に相互理解できるようになるケースと、最後まで理解し合えないケースがあります。ただ、攻撃した側は「あの時はすまなかった」で済みますが、攻撃された側は自死遺族の苦しみが倍加するような攻撃をされるので、後に謝られても許す気にはなりにくいでしょう) 自分を守るという前提に立つと、行うべきことは2つです。 1.理解してくれる、守ってくれる人に相談する 自分の両親、兄弟、親戚、親友といった「あなた側の信頼できる人」に相談して「どうすれば攻撃から自分が守られるか」を相談しましょう。例えば、義両親が何度も自宅に押し掛けてくるようだったら、当面は実家に帰って義両親とは一切連絡を取らないことも一案です。 また、義両親からの攻撃にどのように対応するかについての案を、一緒に考えてもらうこともできます。 そして、「義両親は間違っている。攻撃されるあなたに非はない。自死を選んだのは本人であって、あなたが自死させたわけではない」と繰り返し言ってもらうことで、精神のバランスを保ち、過度に自責の念が強まることを抑止できます。 2.弁護士に相談する 信頼できる人に相談しても、それを上回る攻撃をしてくる場合や、裁判沙汰になった場合はまずは弁護士の法律相談を利用しましょう。東京の例を挙げると、東京第二弁護士会が30分5,000円で法律相談を行っています。他の地域でも、30分5,000円前後が相場になります。 どうするば法的に自分が守られるか、どのような対策が取り得るかといった相談をすることができるのと、訴えられてしまった場合にこちら側につける弁護士探しにも役立ちます。 あなたは悪くない。自死を選んだのは本人 繰り返しになりますが、配偶者が自死を選んでしまった場合、残された配偶者が義両親などの配偶者側の親族に責められるのは間違っています。 なぜなら、自死を選んだのは本人だからです。配偶者が選ばせたわけではありません。 よって、配偶者側からの親族に責められている夫、妻がいるとしたら、「攻撃されても仕方ない」のではなく、「自分は理不尽な攻撃を受けている」という認識を持ちましょう。 自分自身を守ること、そのために誰にサポートしてもらうか、これだけを考えてください。
自死に理解のない宗教者に振り回されない | シンパス相談室
宗教者の手のひら返し 普段親交のある宗教施設、宗教団体、宗教者がいて、定期的にお寺や教会などに通っている方から伺う話です。 正式に所属しているお寺や教会などの宗教者の方に、「家族が自死したので、葬儀を執り行ってほしい」というと、「自死は教義違反なので、葬儀はできません」と冷たく言われることがあるようです。 精神的に辛いときに人を支えるのが宗教者の役割なのに、これまで信仰を全うしてきた信徒の方の願いを却下するというのは理解に苦しみます。 しかし、実際にこのような手のひら返しする宗教者がいるのも事実です。 家族が自死したことで、ただでさえ苦しんでいる自死遺族が、精神的な救いを与えるべきはずの宗教者から再度苦しみを与えられるという、大変心苦しい話です。 苦しむ人を救うことより教義の解釈が重要? 私は宗教者ではありませんので、各宗教の教義に立ち入ることはしません。 ただ、人生で最も苦しんでいる人に対して、その苦しみを受け止める、和らげることができない宗教者は、何のための宗教者なのだろうかと思います。 信徒となった方は、定期的に寄付やお手伝いをするなど、お寺や教会と言った宗教施設に貢献されている方が多いです。 そうした方に対して、ある意味裏切りのようなことを平気でする宗教者を許しがたいと思います。 もちろん、宗教なので教義により自死がどのように位置づけられているか、その教義を宗教者がどの程度重んじているかを無視するわけにはいきません。 しかしながら、「教義ではこうだから」と、信徒の苦しみに向き合わない、そして「自死したあなたのご家族は、教えに背いている」といったことまでいうのは、やりすぎではないでしょうか。 精神的な安らぎを与えるはずの宗教者が、その活動を放棄するのであれば、宗教者としてはふさわしくないでしょう。 理解してくれる宗教者は必ずいる しかし、全ての宗教者が自死または自死遺族に理解がないわけではありません。 例えば、キリスト教における自死は様々な観点がありますが、カトリック(イエズス会)の聖イグナチオ教会では、このような集いが過去に開かれています。 遺族に慰めと癒やしを 聖イグナチオ教会で「自死された方々のためにささげる追悼ミサ 例えば、キリスト教徒が普段通っていた教会から「自死をするような人は教えに背いた人なので葬儀はできない」と言われても、別な教会に行くと苦しみを受け止めてもらい、葬儀を引き受けてくれる場合もあるのです。 自死について理解してくれる宗教者は必ずいます。 よって、冷たい仕打ちをされた宗教施設があった場合、そこに無理に固執して傷を広げたり、葬儀を諦めることよりも、寄り添ってくれる宗教者を探して助けを求めることのほうが、適切ではないでしょうか これは単に葬儀だけではなく、葬儀の後も続く精神的な痛み、苦しみからの回復(グリーフケア)の観点からも、理解のある宗教者はあなたにとってよい存在、支えとなる存在となるはずです。 信仰を持たれている方が、自死に関して理解のある宗教者との出会いがあること、そして宗教者からのサポートが続くことを祈ります。
遺品整理を急かしてはいけない | シンパス相談室
早く遺品を整理することはよくない結果を招く 家族が自死してしまった。家には残された遺品がたくさん。衣服、置物、食器、身につけるもの、化粧品、電化製品などなど。 どれを見てもなくなった家族を思い出してしまう。そして、目に入れるたびに辛い思いがこみあげてくる。泣いてしまう。感情的に不安定になってしまう。体調が悪くなる。 こういう思いに駆られる自死遺族は多いのです。そして、こうした辛い家族、知人、友人、親戚を目にする人は善意からこのように思ってしまいがちです。 「そうか、遺品を見るから辛いことを思い出すのか。辛くても遺品は早く整理したほうが楽になるのではないか」 「いっそのこと全て捨ててしまったほうがよいのではないか」 しかしこれらは全て間違いです。結論から言うと、「遺品整理を急かすと間違いなく良くない結果を招きます」。 冷静でない状況で整理すべきでない 10歳の時に、自死で父親を亡くしたミュージシャンのYOSHIKIさんは、父の自死の直後に家の中から父親の痕跡が全て消されて、父がいなかったものとして扱われるようになった、と言っています。 YOSHIKIさんは1965年生まれなので、2018/3現在、52歳なのですが、インタビューに出て父親について、当時の自分を振り買って話すときに未だに涙を流すことがあります。 このケースだと、自死で一番衝撃を受けたのはYOSHIKIさんである可能性が高いのに、十分なケアを受けられなかっただけでなく、遺品も強制的に全て片付けられてしまったのです。 もちろん、当時は自死遺族に対して十分な配慮や知識がない時代でしたので、ご家族を責めるつもりは全くありませんが、事実としてそうだったわけです。 そして、21世紀の現代でも、自死遺族は「善意から」これと同じことを言われることが多いのです。 例えば、子供を自死で失った夫婦のうち、より精神的なショックが大きい妻に対して、夫が「遺品を見ると辛くなるだろうから、頑張って整理しよう」と切り出してしまうのです。 それも、自死が起こってから数週間、数カ月のうちにです。夫からすると、「何とか妻に早く立ち直って欲しい、辛い思いが少なくなって欲しい、遺品が原因の一つであるならば心を鬼にして整理してしまったほうが長期的に良いのではないか」という妻に対する思いがきちんとあるのです。決して嫌がらせのつもりではありません。 しかしながら、大きな心的ショックを受けた状態で遺品を整理しようとすることは、よい選択ではありません。 その理由は「精神的に不安定な状況で整理すると、一緒に整理する他の人の意見に押し切られる」からです。 例えば「辛い記憶を呼び起こすのであれば、全て捨ててしまったほうが良い」といった意見です。 冷静な判断力がない時には、そうした意見も正しいのかなと思ってしまいがちですが、後から「全て捨ててしまわなければよかった」と思っても、もう遅いのです。取り返しがつきません。 取り返しがつかない、ということは、自死遺族としてのダメージからの回復を長引かせることになります。 なので、自死遺族として最も苦しんでいる家族の近くにいる方は、遺品整理を急かさないでください。 たとえ一番苦しんでいる家族が「全部捨ててしまいたい」といっても、「いったん落ち着いてからまた向き合おう。いったん棚上げにしておこう」と、言ってあげてください。 遺品整理には年単位かかる覚悟を持つ 自死遺族の苦しみから回復するには何年かかるでしょうか。 自死遺族としての強い苦しみ、悲しみは一生なくなることはありませんが、「自分のことを自分でできるようになる」「日常生活を営めるようになる」というレベルの回復であれば、早い人で数カ月、長い人だと数年というのが一般的ではないでしょうか。 遺品整理を行うのは、この数カ月、または数年という最初の一段階回復してからにすべきです。 そして、周囲の家族が「早く遺品整理をしよう」と急かすのではなく、本人が「遺品整理をしたいと思う」と言ってくるまで待つのがよいでしょう。 周囲からの圧力が全くない状態で、「遺品整理をしたい」と言ってくるのを待つわけなので、周囲の家族からすると「いったいいつになったら遺品整理を始められるのか」という思いに駆られることもあるかと思います。 自死で亡くなった家族がいなくなった後も生活は回っていて、収納スペースが必要になったりすることもあります。 ですが、ここはぐっとこらえて、遺品整理についてはあれこれ言うのはやめましょう。 また、本やネットなどで読んだ知識を元に「普通はXカ月くらいで遺品整理できるらしいよ。2年も経過したのにまだ遺品整理できないなんて」といった「他人との比較」もやめましょう。 苦しみや悲しみの深さ、そしてそれがどのように症状として出るかは人によって違います。 遺品整理に時間がかかるからといって、回復が遅い、回復のために努力していないというわけでは全くありません。 言及せず、責めず、急かさず、他人と比較せず、じっと待ちましょう。
「自死遺族を支える」家族の苦しみを共有する | シンパス相談室
ご家族や近親者が自死で亡くなられた場合、親、子供、兄弟、近い親族そして親しい友人など、多くの方が強く影響を受けます。 例えば、息子さんが亡くなられた場合、ご両親、兄弟、いとこ、叔父叔母、祖父母、学校の友達、会社の同僚などが、強い抑うつ感を訴えたり、精神的に不安定になることもあります。 そして、一番大変なのは「自死によって一番大きな衝撃を受けた自死遺族」の方です。 通常は、親、子供、兄弟が該当します。1人の方が自死されると、家族全員が強い衝撃を受けます。ただ、その衝撃には個人差があります。 例えば、息子が自死で亡くなった際、父親はなんとか生活をしていけるだけの精神力があるが、母親や精神的に打ちひしがれるというケースです。 こうした場合、父親は自分も胸が張り裂けるほど辛いにも関わらず、母親である奥様を支える必要があります。 これまで自死遺族というと、最も辛い人に焦点が当たっていました。しかし、辛い人を支える人も、実は大変な困難にいることが多いのです。 周囲は「時が経てば解決する」「(自死した方が)天国から見守ってくれている」「辛い思いから解き放たれて自由になった」などと、慰めの言葉をかけてくれますが、そうした慰めの言葉が「慰めになっていない」ケースも多々あります。 また、慰めどころか、「早く立ち直らないと」「しっかりしないと」「立ち上がって自分の夢に向かわないと」などと、回復を急き立てるような人もいます。 そして、自死という特別な事情もあります。自死に対する偏見があるため、なかなか近しい人や友人に自死があったこと自体を打ち明けられない、そんなケースもあります。 「家族が助け合って、一番辛い人を支えてあげて」などと言われても、「ではどうやって支えればいいのだ、私も毎日本当に辛い」という方も多いはずです。 シンパス相談室の存在意義はここにあります。 私たちは、安全な状況で、辛いご家族を支える方に寄り添い、辛さを理解し、共感し、皆様の心を痛み、辛さを緩和するお手伝いをします。 シンパス相談室の「シンパス」は、「共感」と言う意味のシンパシー(sympathy)から来ています。 自分より辛い家族がいると、自分が辛いとはなかなか言いにくいものです。辛い人の前で、「私も辛い」といっても、相手の救いにはなりません。 あなたより辛いと感じている人は、あなたを助けるだけの余力がないのです。 だからこそ、シンパス相談室であなたの辛さを話してみませんか。 私は、自死により母を失った妻を支えて、ここまできました。あなたと同じ辛さを経験しています。 心からお役に立ちたいと思っていますので、ぜひご連絡ください。