自死遺族・支えるあなたを、支える

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自死遺族カウンセラーを選ぶ際に注意すべき5つのポイント | シンパス相談室

愛する人が自死で亡くなり、自分や家族だけでは辛さを抱えておけない。そんな時に頼りになるのが自死遺族向けのカウンセラーです。 多くの自死遺族カウンセラーは、自死遺族の役に立ちたい、自分の苦しかった経験を役に立てて欲しいという思いで真面目に活動を行っています。 頼りになる多くのカウンセラーがいる反面、気をつけて選ばないと高額な費用の支払いが必要となるだけでなく、回復に逆行することさえ起こり得ます。 では、カウンセラーを探す際に、何に気を付けるべきかについてお伝えします。     1.大金を前払い かつての英会話スクールNOVA商法を思い浮かべて頂くと分かりやすいです。 NOVAは、XX回分の費用を前払いし、利用するには都度予約しなければいけないが、予約が空いていない、そして授業の内容が良くないというものでした。 自死遺族カウンセラーの場合は、「1回分の費用が通常は高額だが、カウンセリング回数をまとめ買いすると大幅に安くなる」といった名目で高額な支払いを前払いさせるというものです。 そして、いざカウンセリングを受けたいときには予約が出来ず、またカウンセリングを受けても既に費用が支払われているためか、手を抜いた対応をされる場合があります。   2.重ね売りしようとする ビジネスで営業をやったことがある方はよく分かるかもしれません。 営業に際しては、新たな顧客を獲得するより、既存顧客に重ね売りするほうが楽に売り上げが上がります。 例えば、1万円の売り上げをあげるために「新規顧客それぞれ1万円の売上を上げる」よりも、「既存顧客の1万円の売上を2万円にする」、つまり1人の既存のお客さんに重ね売りするほうがはるかに簡単なのです。   この論理を自死遺族カウンセリングに持ち込むカウンセラーも残念ながらいます。 「これまで何度かカウンセリングを請けいて頂いた方向けに、月間XX名限定で特別のカウンセリングを行っています」 「費用はやや高くなるけど、効果は高いと思います」 といった話で、通常のカウンセリングとは別の高額メニューに誘導します。   また、高額メニューには誘導しないまでも、カウンセリング時間が終わりそうになったら、何かしら話をつないで時間を引き延ばそうとするカウンセラーは残念ながらとても多いです。 カウンセリングを受けるということは、何かしら話をしたいと思っているわけで、そこに付け込んで何時間も延々と話をさせるように持って行きます。 気が付いたら、予定していた時間の何倍の時間も話してしまい、追加の支払額が大変な金額になることもあります。   3.自分の個人的体験・先入観に寄りすぎている カウンセリングは、カウンセラーの直接的な経験、これまで対応してきたカウンセリング経験、またはカウンセラーが学習した内容に基づき行われます。 これはどのカウンセラーも同じです。 ただ、カウンセラーが経験や学習を踏まえながらも、「ある程度客観的な視点を持ち、相手を理解しようとする」のか、「あくまで自分の個人的見解・考えを押し付けようとしているのか」により、カウンセリングの質が変わってきます。   よくあるのが「毒親を自死で亡くしたケース」です。 毒親を自死で失った子供が持つ感情は、自死遺族が持つ一般的な感情、すなわち「悲しい」「悔しい」「辛い」だけではありません。 しかし、毒親という存在を理解しようとしないカウンセラーは「親=子供に愛情があって当たり前」「亡くなった人を許すことが回復への第一歩」といった「経験」「先入観」「思い込み」から出ようとしません。 結果、満足のいかないカウンセリング、自分には全く当てはまらないカウンセリングとなってしまいます。   4.結論を誘導する カウンセリングのはじめに、ある程度話を聞いた後、「この相談者は、このような点で悩んでいるのに違いない」と決めつけるカウンセラーは少なくありません。 こうしたカウンセラーは、自分が設定した「落としどころ」に向かってカウンセリングを続けるので、話に寄り添っているようで、実は寄り添っていません。 カウンセラーは話をしながら、「やはり相談者はこのように思うか」「自分の考えは正しかった」と、頭の中でひたすら仮説の正しさを立証しているのです。 相手の話を素直に聞くのではなく、仮説の正しさを証明するために話を誘導し、落としどころにちゃんと着地するようにするため、話を聞いているようで実は効いていません。   5.自分に合っていない よいカウンセラーのはずなのだが、何かしっくりこない。私が悪いのだろうか。 そのように感じる相談者の方は少なくありません。 しかし、相談者もカウンセラーも人間同士なので、相性があります。また、相談者が相談するタイミングでどのような感情だったか、どれくらい精神的に元気かによっても、最適なカウンセラーは違うことがあります。 「一生懸命励まし元気づけてくれるカウンセラー」もいれば、「相談者にできるだけ話をさせ、最小限だけ話すカウンセラー」もいます。 「明るく元気なカウンセラー」もいれば、「落ち着いて感情をあまり出さない」カウンセラーもいます。 「適度に雑談を入れるカウンセラー」もいれば、「自死に関する話しかしないカウンセラー」もいます。 「個人的な話を多くするカウンセラー」もいれば、「自分自身の話は一切しないカウンセラー」もいます。 どのカウンセラーも間違いではありません。しかし、重要なのはあなたに合ったカウンセラーかどうか、という点です。 いくら評判が良いカウンセラーでも、良いカウンセラーだと紹介してもらった場合でも、自分に合わないと感じた場合は繰り返しカウンセリングを受けることはやめましょう。効果が期待できません。   大きな金額の前払いはせず、「外れ」「合わない」カウンセラーからはすぐに離れる カウンセラー選びは、試行錯誤(トライアンドエラー)が必要です。 精神的に追い込まれていて、精神的余裕がない時期に、トライアンドエラーするのは非常に辛いのですが、かといって「他のカウンセラーを探すのが大変だから、今一つのカウンセラーを使い続ける」のも、大変もったいないのです。 私からのアドバイスは、以下の通りです。 信頼できるカウンセラーという確信を得るまで、多額のカウンセリング費用を前払いしない。 高額なオプションメニューを勧めてくるカウンセラーは、儲け主義の良くないカウンセラーなので離れる。 先入観で話を進めたり、結論を誘導するカウンセラーからは離れる。 人間的にはよい人だが、自分には合わないカウンセラーからも離れる。 大切なお金と時間を無駄にしないカウンセラー選びにお役立ていただければ幸いです。

自死遺族カウンセラーを選ぶ際に注意すべき5つのポイント | シンパス相談室

最初 (1年目) の命日反応を乗り切る3つのポイント | シンパス相談室

ご家族や愛する人が亡くなって、時間が経過して命日を迎えるとき、「どのように命日を乗り切ればよいのか」「命日反応とどう向き合えばよいのか」と思い悩む方は多くいらっしゃいます。   以前にこちらの記事を書き、多くの方にシェアを頂きました。 ・自死遺族を支える家族は命日反応にどう向き合うか | シンパス相談室 シェア頂いたコメントを拝見する中で、最初の命日をどう乗り切るかは、あまり重視されていない(よく分からないうちに命日になってしまう)ように感じました。   よって今回は、最初の命日に向かう上で、どういう心持ちや備えがあったほうがよいか、という内容に特化して執筆しました。   1.自分はどう過ごしたいのかを考える 多くの方は、最初の命日が近づくにつれ、様々な思いがよぎり大変に辛い思いをされます。 「命日の前でもこれだけ大変なのだから、命日になったらどんなに辛いのだろうか」 そう仰られる方も少なくありません。   命日ならび命日反応を乗り越える、いや、「やり過ごす」上で最も大切なのは「自分はどう過ごしたいのかを考える」ことです。 例えば、「できるだけ命日であることを意識せずに過ごしたい」という方もいれば、「亡くなった愛する人の思い出に浸りきりたい」という方もいます。 「できる限り一人で過ごしたい」方もいれば、「一人だととても辛すぎるので、家族や友人と過ごしたい」という方もいます。 「その日は仕事を休みたい」という方もいれば、「普段と変わらずに仕事をして過ごしたい」という方もいます。 「一周忌をやりたい」「墓参したい」という方もいれば、「儀礼的なものは何もやりたくない」という方もいます。   最初の命日をどう過ごすかについて、全ての人に当てはまる正解はありません。 ご自身が、このように過ごしたいという思いの通りに過ごすべきです。   ご自身が、自分が思う通りにその日1日を過ごした。 命日なので、様々な感情が沸き上がって来るものの、誰に強制されたわけでもない、自分が思う通りに過ごした、という事実が大切です。     2.必要に応じて家族・友人・会社関係に協力を求める もし配偶者を亡くされた方が、現在一人暮らしであれば、自分が思う通りに1日を過ごすのは容易かもしれません。 しかし、家族がいたり仕事があったりする場合、自分の思いを伝えて理解してもらい、その思い通りの一日になるようにサポートを得ることは大切です。   そのためには、早い段階で「自分が頭の中で考える、思う」だけでなく、「言葉」なり「メモ書き」などで、自分の意思を明確に伝えましょう。 別の家族が、自分とは違う命日の過ごし方を既に準備していた、その準備にはそれなりの労力や費用がかかっている場合は、どうしても他人の意思に引っ張られてしまいますので、注意が必要です。   というのも、家族がいる方は、家族それぞれごとに「どのように過ごしたいか」が衝突することもあるかもしれません。 これは、筆者の個人的な意見ですが、「無理に全員で同じ過ごし方をする」よりも、「意見が分かれた場合は、それぞれがやりたいように1日を過ごす」ほうがよいと思います。 大切なのは、自分の過ごし方とは違う家族を攻撃しないことです。 別の家族からみたら「愛情がない」「儀礼に欠く」「自分勝手でわがまま」と見える場合もあるかもしれません。 しかし、異なる人間同士です。大切な日をどう過ごしたいかが違っても、不思議ではありません。   ちなみに、家族以外になると少し話は変わります。 会社の上司や同僚、友人知人が、理解や共感を持ってくれ、サポートをしてくれるわけではありません。 もし、心からの理解とサポートをしてくれる方がいれば、そうした人には本当の思いを伝えましょう。 そうでない方には「それらしい理由を付けて自分の意思を通す」ようにしましょう。 例えば、休む理由付けが必要であれば、「家族の死去から1年が経過するので休みたい」ではなく「体調不良で休みます」でよいでしょう。 理解や共感を持ってくれない人に、正面からぶつかっても傷つき消耗するだけです。     3.「節目」を意識しすぎず、感情と向き合う 命日が近くなるにつれ、「家族や大切な人が亡くなった日」「その日の出来事」を想起して、精神的に辛くなってしまう、感情的になってしまう方もいらっしゃいます。 「1年」という期間が経過したことにより、辛かったその日の出来事、亡くなった後の日々を思い出されてしまうためです。 そして、辛さだけでなく、以下のようなものを感じてしまうこともとても多いです。 「1年経過したのだから、そろそろ立ち直るでしょう」という周囲の目や期待 「1年経ったのだから、しっかりしないと」という自分自身が持ってしまう義務感 「1年経ったのに、精神的には辛くしんどいままだ」という辛い感情 あたかも、1年経ったら色々なことができるようになっている、いや、できるようになっていなければならない、という重圧がのしかかって来るかのようです。   しかし、1年というのは単なるカレンダー上の区切りでしかなく、心の回復度合いとは何も関係がありません。 そして、大切な人を失ったことについて「何をもって回復とするか」は人により異なります。 よって、1年経過したという事実と、「1年経ったのだから」という周囲の期待や自身の感情を結びつける必要はありません。 1年という節目をどれだけプレッシャーとして感じたとしても、プレッシャーを持つことで心の回復が進むわけではないのです。     2年目、3年目のことは考えず、今のことだけを考える 自死遺族の方からは、 もうすぐ1年経つのに、全く精神的に楽にならない。むしろ悪くなっている気がする。来年、再来年には回復しているのだろうか。 といった辛さを持つ方が多くいらっしゃいます。 しかし、筆者はこう思います。辛さを感じていること、考えること、不安に思うことこそが、ご自身が立ち向かっている証拠なのではないか、と。   人それぞれ命日をどう迎えるか、どういう心持ちかは違います。 心穏やかな人もいれば、そうでない方もいます。 しかし、現在の状況から連想して、将来への不安を増大させて、さらに辛くなる必要はありません。 来年、再来年のことを連想するのではなく、まずは直近の命日と自分の心にだけ向き合うようにしましょう。

最初 (1年目) の命日反応を乗り切る5つの方法 | シンパス相談室

毒親が自死して自死遺族となった子供はどう苦しみを出せばよいか | シンパス相談室

自分にとっては、毒親以外の何者でもない親が、自死により亡くなった。 こうした場合、事態をどのように理解し、誰に助けを求めるのがよいでしょうか。     毒親の自死は、一般的な自死遺族とは異なる 毒親ではない親が亡くなった場合と、毒親が亡くなった場合は異なる点が複数あります。   1.「悲しい」「辛い」「悔しい」以外の感情が現れる 自死遺族にとっての悲嘆の感情、例えば「あの時こうしていれば」「辛さを分かっていなかった」「ただ悔しい」といった感情は、「自分が命を落とすよりも辛い」という人がいるほどの強い感情です。 こうした感情に加えて、毒親が自死した場合の子供は、別の感情が表出する場合が多いのです。   「毒親」という言葉は一般的に、アダルトチルドレンとして育たざるを得なかった子供が、親を許せない、許したくない際に使われる言葉です。 親子という関係性を巧妙に利用し、子供のエネルギーを搾取してきた親への怒り、自分ができもしないことを子供に要求していたことへの怒り、親が子供を使って得たいものを得ていた怒りなどが表出して、親子関係を捉えなおした結果、「私の親は毒親だ」という理解に至ります。   例えば、自分にはとことん甘く、子供には異常に厳しかった「毒親」が自死した場合に、子供が抱く感情は何でしょうか。 「悲しみ」「辛さ」「悔しさ」が表出しないわけではありません。しかし、それと同程度に「自分はあれだけ私に強くあることを求めたのに、あなたの人生を終わりは自死ですか。どんなに辛くても頑張れという親の言葉は何だったのか。親の子育ては無意味で無価値だった」という怒り、「そんな無意味で無価値な子育てを受けた自分は、果たして正常なのだろうか」という恐れ、「一般的な自死遺族と違い、親の死を悲しみ、辛さ、苦しさだけで受け止められない」苦しみなども表出します。 多方向に向いた感情が一気に表出します。それも、一日の間でも時間によって感情の出方が異なります。あちこちに暴走しそうになる感情をコントロールしようとするだけでも、張り裂けそうな苦しみに襲われます。   2.一般的な慰め、共感が逆効果になり、理解してもらえない 「親が自死した」と友人、親戚、カウンセラーなどに言うとよく言われる言葉があります。 辛いね。苦しいね。 親が自死したのはあなたのせいではないよ 親御さんも天国からあなたのことを見守っているよ 親御さんはあなたを愛していなかったわけじゃないよ しかし、毒親が自死した時に子供が感じる感情は、こうした一様なものではありません。 むしろ、このような一般的な自死遺族に対して使われる言葉を言われることで、より一層辛くなったりもします。 毒親を持つ、アダルトチルドレンの複雑な感情は理解されにくいのです。 よって、「自死で親が亡くなった。親は毒親で子供の時にひどい目にあった」といっても、こんなことを言われがちです。 亡くなった人を悪くいうものではない 色々あったかもしれないが、親御さんは愛情を持っていたんだよ 怒りを持つのではなく、許してあげないと 友人、知人、親族といった方であれば、自死遺族に対しての理解がそこまで深くないので、こうした言葉をかけられることは理解できます。しかし、熟練した自死遺族カウンセラーからも、こうした言葉を言われて苦しむ方は多いのです。     毒親が自死した子供は、苦しみを誰に話せばよいか では、毒親を自死で失った子供は、誰に苦しみを吐き出し、感情の整理をすればよいのでしょうか。 筆者は、「自死遺族カウンセラー」ではなく「アダルトチルドレン・毒親といったテーマに強いカウンセラー」を選ぶべきとい考えます。 毒親に育てられた子供の多くは、「子供でありながら、親の庇護を十分に受けられない」「むしろ、子供が親の代わりをすることを要求された」結果、アダルトチルドレンの症状を呈することが多いです。当然、アダルトチルドレン関連のカウンセラーの多くは、親子関係の複雑さ、子供が受けてきた心の傷について理解がある方が多いです。 筆者の経験的には、「自死遺族について専門性がある人が、アダルトチルドレンの人の話を聞く」よりも、「アダルトチルドレンについて専門性がある人が、自死遺族の話を聞く」ほうが、その苦しみ、辛さを一層理解してもらえるのではないかと考えます。 とはいえ、カウンセラーは玉石混交です。アダルトチルドレンに強いカウンセラーの中から、よい人を選ぶ必要があります。   しかし、アダルトチルドレンのカウンセリングも、自死遺族のカウンセリングと同様、安価ではなりません。 費用的に厳しい場合は、信頼できる友人、知人、兄弟などに協力してもらうという方法があります。 その際には、「私の親の死について話を聞いてもらえないか。なかなか理解してもらうのは難しいので、意見や慰めの言葉は言わないで欲しい。ただ聞いてほしい」と前置きし、協力してもらう人が「善意から発した言葉で傷つく」ことがないようにすべきです。     自死遺族の苦しみはなかなか理解してもらうことが難しく、かつ適切な共感、傾聴、励ましを行うのは難しいものです。 これが毒親の自死となると、その難しさが増します。 だからといって、誰にも理解してもらえない、というわけではありません。良いカウンセラーを見つける、周囲の人に「どのように協力してほしいか」を正しく伝えて話を聞いてもらうなど、苦しみや辛さを軽減する方法はあります。 この記事の内容が何かしらお役に立てれば幸いです。

毒親が自死して自死遺族となった子供はどう受け取めればよいか | シンパス相談室

自死遺族が遺品整理を行う5つのポイント | シンパス相談室

以前に、遺品整理を急かしてはいけないという記事を執筆しました。 自死遺族本人、または家族は間違った判断をしないために、また辛い状態なのに急かされて遺品整理に向かうことで精神状態を悪化させないために書いた記事です。 ただ、家族の自死からある程度時間が経過して「そろそろ遺品を整理したい」「立ち向かいたい」という気持ちが出てきた場合、何に気を付けて行えばよいのでしょうか。 今回は、自死遺族が遺品整理に立ち向かうに当たって、気を付けるべきポイントについてお伝えします。   1.1人でやらない まず、自死遺族の方は1人で遺品整理をしようと思わないことです。別な家族、または友人などにお願いして同席、または手伝ってもらうべきです。 一人で遺品整理をしようとすると、目の前にある遺品、つまり思い出が詰まった品々に心が持って行かれそうになります。良かった思い出、辛かった記憶が噴出し、感情の収集がつかなくなります。 もし遺品整理をするのが1人でなく、もう1人誰かがいれば、普段の会話をしながら、または遺品にまつわる思い出を聞いてもらいながら遺品整理に向かうことができます。辛い思い出を想起したとしても、「この遺品にはこういう辛い思い出があって、目にするのもしんどい」と話しながら遺品整理をすることで、心の中に全てをため込んでおかずに済みます。 「今更、遺品に関しての思いを口に出したところで何の意味があるのか」と思う方もいるかもしれませんが、口に出して思いを吐き出すというだけでも、十分に意味があります。そして、誰か聞いてくれる相手がいてくれないと思いを吐き出すのは難しいことなのです。   2.そこまで辛くない遺品から取り掛かる 遺品の中にも「向き合うのが大変に辛い品々」もあれば、「相対的に考えるとそこまで辛くない品々」もあります。自死遺族が最初に取り掛かるべきは、「そこまで辛くない品々」です。 遺品整理のはじめに、向き合うものが大変辛い品々に取り掛かってしまうことは、「心が受け入れられる状態になっていないのに、無理をすること」です。感情的に無理をした場合、その無理は長続きしないのです。遺品に向き合う辛さで、精神的・身体的にしんどくなって寝込んでしまうこともあります。そして、「遺品整理に取り掛かったが進められなかった」という挫折感、失敗体験だけが残ってしまう人もいます。 そうではなく、まずは「相対的に見てそこまで辛くない品々」、負荷が小さいものに取り掛かることで、小さな成功体験、「わずかながらとはいえ、遺品整理ができた」を積み上げていく必要があります。成功体験を積み重ねていくことで、より辛い思い出が含まれている品々に向かうことができます。 「辛い品々」は後回しにして、「そこまで辛くない品々」から取り掛かりましょう。   3.辛くなったら中断して、「そのうち」再開する 遺品整理は長期戦です。1日や数日で一気に片付けるべきものではありません。 よって、「辛くなったら中断する」「そして、『そのうち』再開する」と決めましょう。 遺品整理を始めたときには「大丈夫」と思えても、整理していくうちに辛くなることは一般的です。この状態で無理に遺品整理を続けることは、傷口が開いたままスポーツを続けるようなもので、心身の不調を招きかねません。 「辛い、しんどい、これ以上はやりたくない」と思ったら、中断する勇気を持ちましょう。同席してくれている方に対して「せっかく時間を割いて同席してくれたのに、進められず申し訳ない」という気持ちになるかもしれませんが、家族や友人への後ろめたさから無理に遺品整理を続けても良い結果となりません。 再開する日を決めずに『そのうち』とすることも大切です。「いつから再開する」と決めてしまうと、そこに縛られてしまいます。そして、決めた日に再開できなかった場合、失敗体験が積みあがってしまいます。   4.遺品整理に時間をかけても悪くないと信じる せっかく遺品整理を始める気になったのだから、一気にやらねば、と思う方は少なくありません。 特に、何年も遺品に近づけなかった方に顕著かもしれません。 しかし、遺品整理は「亡くなってから数年経ってから手を付け始めて、手を付け始めてから終わるまでにさらに何年もかかる」場合もあります。しかし、時間をかけることは悪いことではありません。 自分の心身の状態を見ながら「できそうな片付け」を少しずつ取り掛かればよいのです。他の人が短時間で終わらせているから、など比較する必要はありません。「早く遺品整理を終わらせること」がよいことではなく、「個々人が無理のないペースで終わらせること」がよい遺品整理です。   5.無理に捨てない 客観的に見れば、取っておいたところで使い道もない遺品はたくさんあります。いや、遺品の大半はそうしたものかもしれません。 だからといって、「心に無理をして多くのものを捨てる」必要はありません。スペース的に余裕があれば、「今のところはそのまましておいて、また後で取り掛かる時に考える」というように、判断を先送りにしてもよいのです。 無理に捨ててしまったものほど、後になって「あの時に捨てなければよかった」と後悔し、判断を悔やんでしまうことが多いのです。客観的に見れば、重要には見えない品々であってもです。 よって、心から納得するまでは無理に捨てない、「捨てない勇気」「先送りにする勇気」も必要です。   同席する家族・友人は「客観的な意見」を言わない 勇気を振り絞って遺品整理に取り掛かる自死遺族に同席する人は、何を心がければよいでしょうか。 大切なのは「客観的な意見」を言わないことです。 例えば。「どうみてもガラクタで、かさばって、再び利用できるものでもない遺品」があったとします。「客観的」に見れば、「場所を取るし、もう使うこともないので、優先的に処分すべき品」に見えたとしても、思ったままの客観的な感想・意見をすべきではありません。 遺品の一つ一つには、自死された方と自死遺族の思い出が詰まっています。それが良い思い出であれ、辛い思い出であれ、です。そして、どの品にどのような思い出が含まれているのかは、他人からは決して見えてきません。 よって、「客観的にはこう見えるから、こうしたほうがよい」といった意見をしないことが大切です。もし意見すれば、その意見が圧力となってしまいます。その圧力が故に、自死遺族は無理な判断をしてしまいがちです。 同席者がすべきなのは、自死遺族が一つ一つの遺品に向かい、あふれ出る思い出を口にしたときに、それに耳を傾け、辛さに共感することです。

自死遺族が遺品整理を行う5つのポイント | シンパス相談室

自死遺族になってから友達に会えなくなった | シンパス相談室

自死遺族となってから、これまで親しくしてきた友人に会えなくなったという方は多くいらっしゃいます。今回は、友人に会えなくなったという点について考えてみたいと思います。   なぜ友人と会えなくなったのか 「辛い時こそ支え合うのが本当の友達」という言葉がありますが、自死遺族に関してはこれは当てはまる場合と、そうでない場合があります。それは、「自死遺族」が持つある種の特殊性から来ています。 (1)根掘り葉掘り聞かれる 自死遺族の友人の多くは、自死遺族がどのような思いをして毎日を過ごしているか、友人と会うのにどれだけ勇気を振り絞ってきたかについて、理解がありません。このため、一般的な「生活に起こる大変な出来事」と同じように、色々と事実を聞いて来ようとする場合があります。 誰が なぜ いつ どこで どのように どんな方法で 家族の自死に直面した自死遺族が、友人のペースで、いわゆる5W1Hに事実を聞かれて、それに答えねばならないのはある意味拷問です。 (2)意見される・批判される 物事を解決する方法を議論するのであれば、「これまでのやり方で良くなかった点を洗い出して改善する」ことが必要かもしれませんが、自死遺族の心の対処はビジネスではありません。 この点に配慮ができない友人が、「あなたがあの時こうしていればよかったののでは」「**が足りなかったのではないか」「**が良くなかったと思う」など、起こった事実について品評する、つまり間接的に批判された場合、自死遺族が再び辛い思いをします。辛い思いをしている中で、勇気を出してきたのに、なぜさらに辛い思いをしなければならないのか、と。 (3)的外れの励まし方をされる 以前、自死で失った人の代わりはいないのに、的外れの励まし方をされるという記事にも書いたのですが、自死遺族の辛さについて理解がない人は、的外れの励ましをして、さらに自死遺族を苦しめてしまいます。 多くの人は自死遺族となった苦しみを理解しているわけではない、また自死遺族となった友人に会うために、ことさらの準備をしてきているわけではないので、的外れの励まし方をされる確率はそう低くはないのです。 (4)幸せを「見せつけられる」気がする 友人にとって悪意は全くなくても、「自分が失ってしまった大切な人が、友人にはいる」というだけで、会いたくないと感じることがあります。 お子さんを亡くされた方が、お子さんが元気な友人に会う。 配偶者を亡くされた方が、配偶者が元気な友人に会う。 親御さんを亡くされた方が、親御さんが元気な友人に会う。 兄弟を亡くされた方が、兄弟が元気な友人に会う。 友人は、目の前で一生懸命話を聞いてくれている、嫌なことは一つも言わない。むしろ自分によく共感してくれる。しかし、とはいっても、自分は大切な人を失ったが、友人は失っていない。羨ましく思う。そして、そう思ってしまう自分が駄目だ、と思う。こうした気持ちを持つ人は少なくないのです。 また、家族以外についてもあります。 自分は辛く苦しい日々を過ごしているが、友人は元気そうにしている。 自分は仕事もままならない状況だが、友人は普通に仕事をしている。 自分はおしゃれする精神的な余裕もないが、友人はおしゃれして会いに来てくれている。 こうした精神的、物理的な余裕をみせつけられてしまうことも、会いたくないと思う理由になります。 (5)困らせたくない 今まで、友人とはよい関係できた。ただ、自死遺族となった自分と友人が相対して、「どのような言葉をかければよいのか」「どのような表情をすればよいのか」「何を言ってよくて、何を言ってはいけないのか」など、あれこれ考えさせるのは心苦しい。 また、自分と会ってしまうと、自分の「辛い、悲しい、悔しい」という話を聞くことになり、友人にとってのせっかくの時間が重苦しいものとなってしまう。申し訳ない。 こうした「友人に対する配慮」から、会いたくない、会わないほうがよいと考える方は多いです。   会っても大丈夫そうな友人とだけ会う まず、自死遺族となった人が「友人に会いたくない」と思う時、無理して友人に会う必要はありません。「大切な友人だから、会って何があったのかを伝えなければ」といった使命感から会う人もいますが、大変な辛さを伴うことがあります。自分の心に大きな負担をかけてまで、会う必要はないのです。 「この人なら会っても大丈夫」と思える人とだけ、「今なら会っても大丈夫」というタイミングで会えばよいのです。 人によって、友人と会う時に何を辛いと感じるかは異なります。 例えば、「子供を自死で失ったので、とにかく子供がいる友人には会いたくない」のであれば、「独身で子供がいない友人と会う」「結婚しているが、子供がいない友人と会う」のでよいのです。 「とにかく話を聞いてほしい。意見されたくない」という場合には、「徹底して聞き上手な友人と会う」のでよいのです。 失礼な言い方かもしれませんが、友人の属性や能力、性格によって「会う、会わない」の判断をしましょう。   新しい「友人」と会う 特に辛いうちは、これまでの友人とは一切会いたくないという方は少なくありません。そうした場合は、「自死遺族の分かち合いの会」などで知り合った方の中で、「この人なら大丈夫」という方と個人的に会うなど、これまでの友人とは全く別の新しい「友人」と会うようにするのも手です。 自分の過去について、ある意味「知りすぎている」友人と会うのは気が引けるが、過去についてほとんど知らない人であれば「自死遺族として苦しんでいる私」だけを見てくれるし、引け目も感じない。そう考える人は少ないありません。 なお、対面型のカウンセラーと会う、という方法もあります。自死遺族へのカウンセリング経験がある方であれば、会うことで傷つくという可能性は低いので、ある意味安心です。ただ、会っている時間はお金が発生しますし、その金額も安くはないので、「信頼できるカウンセラーがいて、ここぞという時の切り札として使う」くらいの頻度で利用するのがよいかと思います。頻繁に会っていると、多くの人にとっては金銭的に大変かと思います。  

自死遺族になってから友達に会えなくなった | シンパス相談室

死にまつわるニュースに苦しむ自死遺族 | シンパス相談室

自死遺族になる前は、全く気にも留めなかったようなニュースにより苦しい思いをする方がいます。 今回は、ニュースをテーマにお伝えいたします。 なお、この記事により辛い思いを想起するかもしれない、と思われる方は、以下をお読みにならない方がよいかもしれません。ご注意頂ければと思います。     自死遺族を苦しめるニュース 自死遺族となる前と、なった後では「世界が一変したようだった」と語る方は少なくありません。 そして、毎日見るネットやテレビ、新聞のニュースにより強い感情が想起され、とても辛い思いをする方は非常に多いです。 有名人・著名人の自死のニュース 自死した家族と同じ方法で死亡された人のニュース 同じ年代の方が亡くなったニュース 自死した家族と関係のある土地の方が亡くなったニュース 同じ日付に亡くなったニュース 例えば、「家族が縊死という方法で自死された」場合、「カルト教団の教祖の絞首刑が執行されました」というニュースは強い感情を想起するニュースとなります。 また、「25歳の家族が自死された」場合、「25歳の方が交通事故で亡くなった」とニュースは強い感情を想起させるニュースになります。 このように、起こったニュースと、自身の家族の自死を関係づけて受け止めてしまい、苦しんでいる自死遺族は、とても多くいらっしゃいます。     関係ないと分かっていても、想起して苦しんでしまう 自死遺族のほとんどの方は、辛さそのものだけでなく、「直接関係ない『死』のニュースと、自分が愛する人が自死したことを結び付け、苦しんでいる自分」そのものに苦しんでいらっしゃいます。 直接関係ない死と、家族の自死を関連づけたい理由はありません。むしろ、一切関係ないものとして認識できれば、苦しみを想起せずに済むのです。   しかし、自然と関連付けてしまう、想起してしまう、苦しみを感じてしまうことを防ぐ方法はないのが実情です。 (外からの情報について完全に身を守る方法はないのは、救急車反応と同じです) そして、単に苦しさを感じるだけではありません。 「安定した気持ちで過ごしていたのに、ニュースを知ってしまったために、突然苦しみが想起された。結果、その日は以後、何も手につかなくなってしまった」というように、日常が突然中断させられ何もできなくなる場合もあります。 物事が中断させられることにより、生活や仕事に支障をきたしてしまうこととなります。     「関係ない」と指摘するのでなく、「関係ないのに想起してしまい辛い」気持ちに寄り添う ニュースから家族の自死を想起して辛い思いをしている自死遺族に対して、「ニュースはあなたとは何も関係がない」と指摘してもあまり意味がありません。 それを一番よくわかっているのは、苦しんでいる自死遺族だからです。 よって支える家族としては、「関係ない」と指摘するのではなく、「関係ないと分かっているのに、辛い思いを想起してしまう苦しみ」に共感して寄り添ってみてはいかがでしょうか。   なお、気持ちに寄り添ったからといって、自死遺族の辛さがなくなるわけではありません。 苦しみに寄り添うのは、あくまで「今の辛さを少しでも緩和するため」であり、「辛さの根本治癒」ができるわけではありません。 こうしたニュースに接しても辛さが和らぐようになるには、ある程度の時間が必要です。 さらには、辛さを想起しないようにする本人の意思の持ちよう、努力が合わせて必要になることもあります。   寄り添うことによる効果を過信することはできません。 しかし、周囲の家族には寄り添うことしかできない場面も多くあります。 とはいえ、寄り添ってくれる家族や愛する人がいるのといないのでは、もちろんいる方がよいわけです。 こうした状況では、支える家族は「寄り添って共感する」という行為を過信せず、かといって過小評価もせずに、寄り添って支えるという小さな努力を続けましょう。

死にまつわるニュースに苦しめられる自死遺族 | シンパス相談室

自死遺族のTwitter利用のすすめ | シンパス相談室

親しい人が自死したことにより、大変な辛さを感じているが、家族や他人にこの辛さを言えない、話す意欲すらない。ただ、言葉にできないことにより心の重しが強まっていることも分かっている。 そんな方は、Twitterを使って心の内を吐き出してみるのも手です。 (ちなみに当サイトはこちらのTwitterアカウントを利用しております。ご興味ありましたらフォローください。)     Twitterのすすめ 自死遺族にとって、Twitterの良い点を以下でご説明します。   140字の短文投稿=ブログを書くほどのエネルギーがいらない Twitterのメリットは全角140字という短さです。 自死遺族となってから、自分が感じること、辛さ、苦しさ、後悔などをまとめてブログに書きたい、胸の内をさらけ出したいという方は少なくありません。 しかし、自死遺族となったことによる辛さがあまりに大きいため、感じたことを網羅的に長文で書くだけのエネルギーを持てない方が多いのです。 しかし、Twitterは最大でも全角140字です。少ない文字数で投稿しても問題ありませんし、「辛い」という一言だけでもいいのです。 エネルギーが消耗しているときに、たくさんのエネルギーを使わずに投稿ができるのは、Twitterの大きな強みです。   スマホから利用可能=どんな姿勢でも利用できる 自死遺族の方が、肉体的、精神的に疲れ果てていて、ベッドに横になっていても、スマホからTwitterで投稿できるのがよいところです。 どのような状況でも、どのような姿勢でも、思いを吐き出したい、誰か見知らぬ人が読んでもらいたい。そう思ったときに最小限のエネルギーでも使えます。 これに対して、ブログは長文になるほどパソコンで入力する方が多いので、起き上がった姿勢でパソコンに向き合わねばなりません。 Twitterと比べると、若干ハードルが高いです。   匿名性が守られる そして、Twitterが良いのは匿名であることです。 匿名だからこそ、誰に気兼ねすることなく心の中の感情をそのまま出すことができます。家族、友人、知人、親戚などの目を気にすることはありません。 自死遺族となってからは、周囲にどれくらいの深さで自死についての話をすればよいか迷ってしまう方はとても多いです。そして、こうした迷いを持つこと自体も自死遺族を苦しめる材料になってしまいます。 Twitterであれば、誰に気にすることなく、自分の心の赴くままに投稿できます。それが倫理的に反していることであっても、とがめられることはまずありません。   他のユーザーとの交流 Twitterで自死に関連するキーワードを探せば、同じ自死遺族としての辛さを持っている方が大勢います。そして、ほとんどの方は匿名で投稿しています。 Twitterで似た境遇にいる人を見かけると、「自分は今、近しい人を失ってとても辛い思いをしているが、辛い思いをしているのは自分だけではない」ということを。実感を持って理解することができます。 もちろん、自分以外にそうした辛さと共に生きている人が大勢いることは分かっています。しかし、日々の苦しみ、辛さを切々と投稿する方がいるからこそ、「自分は一人ではない」「自分だけが苦しんでいるわけではない」と思えるのです。 また、自分の投稿に対して、他の自死遺族から反応があることもあります。そうすることで、人生でこれまで一度も接点がなく、一度もあったことがない、そして今後も会うことがないだろう人たちと、励まし合うことができます。     自死遺族がTwitterを使う注意点 自死遺族がTwitterを利用する上で注意しなければならないのは2点です。   言葉の暴力を受ける可能性がある Twitter上には、例えば「自死遺族」といったキーワードで検索して、見知らぬ人に対してけんかを売るような言葉を投稿するユーザーもいます。 こうしたユーザーがいるから、言葉の暴力を受けるのが怖いから、Twitterを利用したくないという方も多いかと思います。 これを防ぐには、アカウントを鍵をかける(承認しないと投稿内容を見られなくする)方法がありますが、これだとほとんど交流できません。 よって、交流もしつつ、言葉の暴力を最小限にする現実的な方法は、「暴言を吐かれたら、すぐに攻撃的なアカウントをブロックする」です。 暴言を受ける可能性があるのは残念ですが、「自死遺族」というキーワードで活発に攻撃的になるアカウントはほぼいません。 ほとんどのユーザーは、自分の辛さを語りたい、辛さを共有できる人たちと匿名で交流したい、というものです。   特定のユーザーに依存してしまう 自分と同じ境遇だった、頻繁にレスをくれる、投稿内容がよく共感できる。 こうしたユーザーに対して一方的に入れこんでしまう、別な言い方をすると「依存してしまう」「幻想を見てしまう」方がいます。 特定のユーザーのコメントに頻繁に返信したり、コメントを求めたり、直接会うことを要求する、DM(メッセージ機能)を何度も送ったりすると、相手は不快感を感じる場合があります。 そして、不快感を感じた相手はあなたをブロックする可能性すらあります。 信頼できる人だと一方的に思っていたが、ブロックされたりすると非常に悲しく成ったり、精神的に不安定になる。また「裏切られた」という感情が出て、怒りが表出することもあります。     他のユーザーとは、近すぎず、遠すぎずの距離感を保つ Twitterを利用している自死遺族の方を拝見すると、あくまで「自分の辛さを出す場所」として使っている方が多いです。 他の自死遺族の交流よりも先に、自分の辛さを出す場所として価値を見出しています。 ゆえに、Twitter自体、他のユーザーとよい距離感を持って利用されているなと思うことが多いです。 また、「自分の発言に対して返信を求めない」「特定の人に対してばかりコメントしない」「意見が違う人がいても反論せずスルーできている」方が多いと感じます。   これまでTwitterを利用されてこなかった方は、まずは自分の思いを出す場として使い、それから徐々に他の自死遺族の意見を確認したり、コメントしていくのがよいかと思います。 Twitterが、多くの自死遺族のとって、少しでも辛さを癒すツールとなることを祈っております。

twitter, 匿名ブログのすすめ | シンパス相談室

自死遺族の救急車反応を理解する | シンパス相談室

自死遺族が苦しむ反応、フラッシュバックの一つとして、命日反応がありますが、これに似た反応のひとつに救急車反応があります。     救急車のサイレン音が近づくと平静でいられない 同居している家族が、自宅で自死された場合、自死した日の記憶は鮮明に残ることが多いです。 ただ、自死したときの状況や言葉のやり取りが、後日そのまま再現されることはありません。 しかし、自死した家族を発見した後で119番連絡し、その後サイレンを鳴らして駆けつけてきた救急車の音を聞くと、「家族が自死した日のことを鮮明に思い出してしまい辛い」という方は多くいます。 救急車の甲高いサイレン音は、傍で聞いていてもかなりの大音量、そして特徴的な音です。 これを自宅の前で大きな音で鳴らされることにより、家族が自死した日の記憶とサイレン音が強く結びつきます。 このため、「街角でたまたま救急車に遭遇したとき」や、「自宅の前をたまたま救急車が通過したとき」に、「自死の日の辛い記憶が思い出され、悲しくて仕方なくなる」「叫びたくなってしまう」「恐怖を感じる」のです。     サイレン音から身を守る方法はありません 家族が自死したときの記憶を思い出して辛い時には、「家族が亡くなった部屋には入らない」「遺品整理は後回しにする」「特に心身消耗している家族に対しては言葉を選んで話をする」といった対応ができます。 サイレン音が大変なのは、対策のしようがないことです。 自宅前を通る救急車だったり、街角を通る救急車に「サイレン音を消してください」とお願いすることはできません。 サイレン音があまりに辛いからと言って、イヤーマフや耳栓をつけて生活するわけにもいきません。 もちろん、もし自宅にいるときにサイレン音が聞こえてきたら、すぐにイヤーマフや耳栓をする、外の音が聞こえにくい部屋に移動するという緩和策はあります。ただ、全く聞こえないようにするのは難しいです。 「少し平穏な日々を過ごしたと思ったら、サイレン音が聞こえたことで、再び自死の記憶が鮮明に思い出されて辛い。そしてこれを防ぐ方法もない」と、自死遺族は落ち込んでしまいがちです。     救急車のサイレン音を辛く思うことを理解・共感する サイレン音が辛いと感じている自死遺族の多くは、「たかがサイレン音なのに、これを辛いと思ってしまう自分のことが嫌になる」という方は少なくありません。 論理的には「今聞こえてきたサイレン音と、自分の家族の自死とは何も関係がない」と思えたとしても、沸き上がる感情は論理を超えて押し迫ってきます。 自死遺族を支える家族がすべきなのは、この辛さを否定しないことです。 ・「たかがサイレン音でしょ」 ・「このサイレン音と、家族の自死は全く別なのだから気にすることはない」 ・「いつまでサイレン音が辛いとか言っているんだ」 ・「もっと気を強く持って」 こうした発言は、自死遺族が感じる辛さを否定し、頑張りが足りないから辛く思えるのだと指摘するものです。 自死遺族の方は、既にもう頑張りすぎるほど、頑張っています。それでもサイレン音が辛いのです。   支える側の自死遺族がすべきなのは、辛さを認めて、理解・共感することです。 ・「あの日のことが想起されて辛いよね」 ・「サイレン音を聞くと感情が揺れ動くのは、どれだけ大変なことかと思う」 ・「あんな大きなサイレン音を鳴らすことないのにね」   そして感謝の言葉を付け加えてみてはいかがでしょうか。 ・「そんな中、毎日頑張って生きてくれてありがとう」 ・「日々立ち向かってくれているから、家族一緒に過ごすことができているよ」   サイレン音による大変な辛さは、必ず乗り越えられます。 特に辛いご家族が、「今、家の前を通りすぎた救急車からサイレン音が聞こえたが、この音と家族の自死のとは関係ない」と思える日が来ます。 このためには、サイレン音に対する辛さを否定せず、理解・共感すること、そして長い目で暖かく見守ることが必要です。

救急車反応で苦しむ自死遺族 | シンパス相談室

自死遺族に対して「自分だったらはこう思う。こうする」は禁句 | シンパス相談室

自死遺族の方の苦しみ、辛さ、もどかしさを聞いて、「どうにかしてあげたい」「助けたい」と思うと同時に、「どうしてこのように考えてしまうのだろう」「自分だったらこうは考えないのに」と思う方は多いのではないでしょうか。 しかし、この「自分だったら」は言ってはいけない禁句です。     「自分だったら」と思ってしまう構図 父を自死で失った息子と娘、子供を自死で失った父親と母親といった人たちを思い浮かべてみてください。 客観的に見れば、「同じ兄弟姉妹だし」「同じ親だし」ということで、同じような辛さや苦しみがあると思いがちです。 しかし、辛さや苦しさが強く出て、日常を過ごすことが本当に大変になってしまう人もいれば、大変だけれども日常を回せてしまう人もいます。 (日常を回せてしまう人は、「辛さを押し殺している」人もいれば、「本当に辛さをそこまで強く感じていない」人もいます。念のため)   ここで例として、父親を自死で亡くした息子(太郎さん)と娘(花子さん)を考えてみましょう。 花子さんは大きなショックを受け、日常生活に大きな支障が出ているが、太郎さんはそこまでの衝撃は受けていない。もちろん、大きなショックは受けているが、会社や飲み会、友人との趣味もこれまでと大きく変わらず行っている。 太郎さんは、兄弟である花子さんが大変な思いをしているのを見て、何とかしてあげたいと思い、花子さんの思いを聞く場を持ちます。 そして、どのような思いを抱えていて辛いのかを理解しようとします。 これに対して、花子さんが「自分はこのようなことが辛い、悔しい、苦しい」と胸の内を吐露しますが、太郎さんは「なぜこれだけ辛い、悔しい、苦しい」かが理解できません。   理解できない状況に直面したときに、支える人の話の持って行き方は2つです。 1つは「相手の立場になって考える」、そしてもう1つは「自分の立場から考える」です。 「相手の立場になって考える」ことが慣れていない人や、今回の例の兄弟のような場合は、「自分のほうがうまく乗り切れている=自分の考え方が正しい」と思い込み、「自分の立場で考え」てしまうのです。   そして太郎さんはこう言ってしまいます。 「そうか、花子、辛いよな。でも、自分だったらこう考えて毎日を過ごしていて何とか乗り切っているよ」 太郎さんは「自分が考える乗り切る物事の考え方を教えてあげた。花子にもとてもよかっただろう」と思います。 しかし、花子さんは「太郎は自分の考えを言ってくるだけで、私の目線で物事を見てくれなかった」と失望を深めます。     「100%の善意」であっても、無理解の行動は助けにならない 上記の例の場合、花子さんは「たった一人の兄弟である太郎は自分のことを分かってくれない。いや、分かろうとする気がない。相談しても無駄だ」と孤立を深めてしまいます。 そして太郎さんは「せっかく時間を割いて話をしたり、アドバイスしたのに花子は理解したり行動する気がない。これ以上話しても無駄だ。あとは専門家の領域だな」と思い、ある意味「見放して」しまうことさえあります。 このように、いくら太郎さんが善意があって取った行動であっても、相手の目線で理解しようとせずに、「自分だったら」と言い続けているのでは、時間を割いて話を聞いたり話をしたりしても、助けにはなりません。ひどい場合だとむしろ有害になることもあります。 「同じ兄弟で、同じ状況なのに、自分はこうやって頑張っている。君は甘えているだけだ」と責める 「僕にできることは何もないので、後は医者やカウンセラーにでも行けば」と言い、これ以上助けようとしない 話には付き合うが、実際は聞き流しているだけで、全く共感する気がない。時間を割いて話を聞いたという「形」があれば、それで役に立ったと思い込む もし、あなたがこのような行動をとっていると自覚するのであれば、いますぐ修正すべきです。     苦しみを同じ質量で受け止め、今日生きてくれていることに感謝する 先ほどの太郎さんと花子さんの例をもう一度引っ張り出しましょう。 太郎さんはどうすればよかったのか。それは「自分だったら」という前提を全て捨てて、「花子さんの苦しみ」に目を向けて、花子さんが感じる重さで苦しみの質量を受け止め、理解しようと努力し、共感することがスタート地点です。 言葉を並べるだけでなく、心から共感したうえで、「そうか。それだけ苦しいのか、悔しいのか、辛いのか」というだけでも花子さんはずいぶんと救われます。   そのうえで、そんな苦しい日常を送っている花子さんに「苦しみに耐えて生きてくれてありがとう」と感謝を伝えてはいかがでしょうか。 自死遺族の苦しみは「自分も自死したくなる誘惑」「朝起きると絶望が待っている」「救えなかった自分をひたすら責める」といったもので、これまでの人生で最も辛い体験だったという人がほとんどです。 そんな苦しみを四六時中抱えている人に対しては、人と比較されたり、立ち上がれない自分を責めたり、絶望したりという感情の中で暮らしています。 少しでも良い感情、暖かい感情が伝わるように思いを伝えましょう。

自死遺族に対して「私だったらはこう思う」は禁句 | シンパス相談室

自死遺族の話を聞くときは、話を先回りしない | シンパス相談室

仕事においては先読み力は大切な能力です。しかし、自死遺族と対面してその話を聞くときは、先読み力は無価値どころか、有害なものになりかねません。 以下でご説明します。     先を読みすぎる=結論待ちになる 先読み力とは、相手が何か発言した際に、その後どのような話の流れになるか、何を発言すればよいかを察知する力です。 仕事においては、社内や顧客のニーズを正しくくみ取って、先回りして対応していくという意味では大切な能力です。 しかし、自死遺族に対峙するときに、この能力を発揮させすぎると「結論待ち」になってしまい、自死遺族の辛さへの共感力が弱まってしまいます。   例えば、自死遺族のAさんがが「辛い」と言ったとしましょう。 そして、この話を聞いている方が「自死遺族が辛いというと、特にBについて辛いはずで、Bの辛さはこの原因からきている。そしての辛さの周辺要因を一つずつあげていき、最後はCに対する怒りをぶつけるのではないか。だから、私はCに対する怒りをぶつけた際にそれに共感するのが役目だな」というように、話の流れを先読みしてしまったとします。 話を先読みしてしまうと、Aさんの話は全て、最後の結論にたどり着くまでの「仮説の正しさの証明」になってしまいます。 つまり、話を受け止めるのではなく、自分が立てた仮説が順番に正しく進んでいくかを確認するだけの行為になってしまい、心が動かなくなるのです。 心が動かないと、出てくる発言も薄っぺらいものになってしまいがちです。   ちなみに、経験豊富なカウンセラーだったり、高齢で様々な経験を積んできた人であっても、相談相手の話を「自分が考える自死遺族像」に落とし込んで、話を先読みして結論待ちになる人もいます。 経験があるのはよいことですが、経験に依存して色眼鏡で物事を見るのはよくありません。     できるだけ先入観ゼロで話を聞く 特に初めて話を聞く相手であれば「自死遺族はこうだ」「こういう話になるだろう」といった先入観を持たないことは大切です。 「自死遺族はこういうことに苦しんでいる」という本を読んだとしても、その知識を使って話を先読みしてはいけません。 (なお、こうした本で役に立つのは、『これだけは言ってはいけない』禁句でしょうか)   先読みするのではなく、まっさらな状態で話を聞きましょう。 まっさらな状態で話を聞いて、相手の苦しみを自分の中で再現して、辛さを感じる、受け止める、一言一言の発言を頭の中で何度か再生してみましょう。 せっかく時間を割くのであれば、相手の話を楽に「流す」のではなく、相手にとって意味のある時間となってほしい、と思うはずです。 そうであれば、先読みして「楽」をしないことです。     繰り返し同じ辛さを言う人に、対応するための先読み力はあり 例外ですが、「毎度同じ辛さを言ってきて、毎度同じ対応することが求められている」「対応するのに疲れている」場合は、先読みはありです。   例えば、「仕事から帰ってきたら配偶者が毎度同じ自死遺族としての苦しみを言っている。いつも心を動かしていたら支える側の精神が持たない」「毎度同じ反応をすることが安心感につながる」といった場合です。 こうした場合は、相手の話を聞きながら「先読み」して、予定通りの話の流れに対して、予定通りの反応で返すようにします。   自死遺族を支える側は、自身の日常を過ごしながら、家族を支えるというある種の「難事業」に挑んでいます。 できることもあれば、もちろん、キャパシティー的にできないこともあります。 ただ、「辛い場面にいる家族が最も求めているものは何だろう」と考えて、自分のキャパシティーと相談しながら、できるだけ真摯に向き合うことをお勧めします。

自死遺族の話を聞くときに、話を先回りしない | シンパス相談室
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