自死遺族が苦しむ反応、フラッシュバックの一つとして、命日反応がありますが、これに似た反応のひとつに救急車反応があります。
救急車のサイレン音が近づくと平静でいられない
同居している家族が、自宅で自死された場合、自死した日の記憶は鮮明に残ることが多いです。
ただ、自死したときの状況や言葉のやり取りが、後日そのまま再現されることはありません。
しかし、自死した家族を発見した後で119番連絡し、その後サイレンを鳴らして駆けつけてきた救急車の音を聞くと、「家族が自死した日のことを鮮明に思い出してしまい辛い」という方は多くいます。
救急車の甲高いサイレン音は、傍で聞いていてもかなりの大音量、そして特徴的な音です。
これを自宅の前で大きな音で鳴らされることにより、家族が自死した日の記憶とサイレン音が強く結びつきます。
このため、「街角でたまたま救急車に遭遇したとき」や、「自宅の前をたまたま救急車が通過したとき」に、「自死の日の辛い記憶が思い出され、悲しくて仕方なくなる」「叫びたくなってしまう」「恐怖を感じる」のです。
サイレン音から身を守る方法はありません
家族が自死したときの記憶を思い出して辛い時には、「家族が亡くなった部屋には入らない」「遺品整理は後回しにする」「特に心身消耗している家族に対しては言葉を選んで話をする」といった対応ができます。
サイレン音が大変なのは、対策のしようがないことです。
自宅前を通る救急車だったり、街角を通る救急車に「サイレン音を消してください」とお願いすることはできません。
サイレン音があまりに辛いからと言って、イヤーマフや耳栓をつけて生活するわけにもいきません。
もちろん、もし自宅にいるときにサイレン音が聞こえてきたら、すぐにイヤーマフや耳栓をする、外の音が聞こえにくい部屋に移動するという緩和策はあります。ただ、全く聞こえないようにするのは難しいです。
「少し平穏な日々を過ごしたと思ったら、サイレン音が聞こえたことで、再び自死の記憶が鮮明に思い出されて辛い。そしてこれを防ぐ方法もない」と、自死遺族は落ち込んでしまいがちです。
救急車のサイレン音を辛く思うことを理解・共感する
サイレン音が辛いと感じている自死遺族の多くは、「たかがサイレン音なのに、これを辛いと思ってしまう自分のことが嫌になる」という方は少なくありません。
論理的には「今聞こえてきたサイレン音と、自分の家族の自死とは何も関係がない」と思えたとしても、沸き上がる感情は論理を超えて押し迫ってきます。
自死遺族を支える家族がすべきなのは、この辛さを否定しないことです。
・「たかがサイレン音でしょ」
・「このサイレン音と、家族の自死は全く別なのだから気にすることはない」
・「いつまでサイレン音が辛いとか言っているんだ」
・「もっと気を強く持って」
こうした発言は、自死遺族が感じる辛さを否定し、頑張りが足りないから辛く思えるのだと指摘するものです。
自死遺族の方は、既にもう頑張りすぎるほど、頑張っています。それでもサイレン音が辛いのです。
支える側の自死遺族がすべきなのは、辛さを認めて、理解・共感することです。
・「あの日のことが想起されて辛いよね」
・「サイレン音を聞くと感情が揺れ動くのは、どれだけ大変なことかと思う」
・「あんな大きなサイレン音を鳴らすことないのにね」
そして感謝の言葉を付け加えてみてはいかがでしょうか。
・「そんな中、毎日頑張って生きてくれてありがとう」
・「日々立ち向かってくれているから、家族一緒に過ごすことができているよ」
サイレン音による大変な辛さは、必ず乗り越えられます。
特に辛いご家族が、「今、家の前を通りすぎた救急車からサイレン音が聞こえたが、この音と家族の自死のとは関係ない」と思える日が来ます。
このためには、サイレン音に対する辛さを否定せず、理解・共感すること、そして長い目で暖かく見守ることが必要です。