「客観的に物事を見る」「俯瞰的に考える」という言葉は、一般的にはよい意味で使われます。
しかし、自死遺族の話を聞く観点に立つと、諸刃の剣となるので注意が必要です。
自死遺族を支える人が、自死遺族の話を聞く際に注意頂きたいポイントです。
話を聞く相手の立場にのみ立つ
仕事の会議の様子を思い浮かべてください。
ある人が「A」という意見を言い、別な人が「B」という意見を、そしてまた別な人が「C」という意見を言ったとします。
こうした場合、会議でよく見られる光景は、出席者がA, B, C という3つの意見を比較検討し、分析やリスクを織り込んだ上で、一つの落としどころに集約していくことです。
こうした進め方は、ビジネスにおいてはよくある、客観的で俯瞰的な物事の考え方、決断の下し方です。
しかし、自死遺族と対峙するときは、全く違います。
今まさに自分が話を聞く方の立場にのみ立って、意見を聞くべきだと私は思います。
話を聞く方の苦しみ、悲しみ、後悔、怒りといった感情を、できるだけそのままで理解して感じるには、他の人の立場に立ったり、他の人の感情を再現しすぎてはいけないと思うためです。
例えば、自死した方の配偶者の方の話を聞いている際、配偶者の方と対立している義理の両親(自死した方の実の両親)がいたとします。
こうした場合、配偶者の方の立場に立ち続けないと、他の人の立場や苦しみなどにも理解が行き過ぎてしまい、話す内容がぶれてしまいます。
自死遺族同士で対立して辛い、苦しいと言っている方に、「対立している相手も同じように辛い、苦しいですよ」と返答することは、何の救いにもなりません。
しかし、話を聞く人の立場に立ち続けないと、周囲の人の感情にも共感してしまい、ついつい発言が右往左往してしまいます。
「主観的」になる
もし、「客観的、俯瞰的なアドバイスが欲しい」「相手がある物事を解決したい」といった相談であれば、様々な人の立場に立ち、客観的、俯瞰的なアドバイスをすべきでしょう。
しかし、感情の荒波の中でいて辛い思いをしている方に、客観的、俯瞰的なアドバイスは役に立ちません。
相手の立場に立ち、相手と同じ思いを感じることが、自死遺族と向き合う第一歩です。
バランス感覚は不要です。まずは。相手になり切って徹底的に「主観的に」なりましょう。
「私の立場で理解してくれている」「私の側に立ってくれている」ということが、信頼の積み重ねになり、話すことによる価値が高まると感じます。
客観的な意見が未来永劫不要になるわけではありません。
しかし、客観的、俯瞰的な意見が必要になるのは、多くの場合相当先のことです。
それまでは相手の立場にのみ立ち続けましょう。