自死遺族は、悲しみと後悔だけに打ちひしがれているわけではありません。自分、または自分たちを残して自死したことに関して強い怒りを感じることもあります。
今回は怒りがテーマです。
自死遺族はなぜ自死した人に怒るのか
家族や近親者が亡くなった際に、怒りが表出するとはどういうことなのでしょうか。
これはいくつかの原因に分けられると思います。
1.精神的・肉体的な辛さ
「愛する人が自死」した場合であっても、「愛する人でない近親者が自死」した場合であっても、自死によって大きく感情が動きます。
これまで行えていたことが行えなくなったり、夜眠れなくなったり、精神的に強い圧迫を感じたり、体調不良が続いたり、といったことが起こります。
「自死するのは一瞬だが、なぜ自分は精神的、肉体的にこれほど長期間、辛い目に遭わされるのか」と思っても不思議はありません。
2.経済的な困難
例えば、働きに出ている旦那さんが自死して、専業主婦と子供が残されたとしましょう。
旦那さんの自死によって、専業主婦の奥さんと、子供の人生は大きな変化を余儀なくされます。
特に、実家を頼れない場合、奥さんは働きに出なければならないが、旦那さんが稼いでいただけの収入を得ることは難しいことが多いです。
そうなると、子供の進学といった進路にも大きな影響を及ぼします。
諦めることも多くなるでしょう。
さらに、家賃が払えなくなり今住んでいる家や地域から離れなければならないこともあるでしょう。
「精神的、肉体的に辛いだけでなく、なぜ経済的にも追い込むようなことをしてくれたのか」と怒りを覚えることは、ある意味当然といってよいかもしれません。
3.不当な攻撃による被害
夫が亡くなった場合は、残された妻に対する夫の両親からの攻撃で、
逆に妻が亡くなった場合は、残された夫に対する妻の両親からの攻撃が分かりやすい例です。
「愛する息子(娘)が自死を選んだのは、配偶者であるあなたのせいだ」と攻撃してきます。
精神的、肉体的、または経済的に疲弊している人に対して、さらなる圧迫を加えてくるのです。
単に電話で攻撃してくるだけならまだしも、家に押し掛けてきたり、訴えるぞと脅したり、遺産をよこせと圧力をかけてくるなど、ただでさえしんどい状況をさらにしんどくします。
「なぜ、私を思いやる遺書を残すなどして、私を義理の両親から守ってくれなかったのか」という強い怒りを感じても不思議ではありません。
自死遺族の怒りを許容しない人と触れ合わない
こうした怒りに対して、「亡くなった人に対してそういう感情を持つこと自体間違っている」「死人に鞭を打つようなものだ」「怒りを収めてあげて」というように言ってくる人がいます。
これは、一見正論のようにも見えますが、自死遺族に対して「怒りを我慢しろ」「感情を押し込めろ」「怒りを出すな」といっていることです。
ただでさえ、はち切れそうな感情の人に対して、建前上の正論、倫理を並べて、さらに我慢をしろというわけです。
この裏には、「怒りを出すのはよくない」といった建前に加えて、「こうした怒りを出されても自分はどう対処していいか分からない」「面倒だから対処したくない」「真剣に向き合うと時間もエネルギーが取られて大変そう」という思いが隠れています。
平時においては、「怒ることはよくない」というのは倫理的かもしれません。
しかし、火事場において「怒りを出さないと生きていられない」人に対して、「怒ることはよくない」ということは何の救いにもなっていません。
むしろ、「この人も一般的なことを言って逃げるだけで、私の感情に向き合ってくれないのか」と失望を深めるだけです。
火事場において平時の倫理を問う人は、本当にその人のことを考えていない、本当に意味で倫理的な人ではないのです。
こうした人たちと触れ合うことは、結果として我慢を強要するよう仕向けられるだけなので、精神をすり減らします。
もし身の回りに、我慢を強要する人がいたら、接触を減らしたほうがよいでしょう。
怒りを出すことは大切
自死した人に対して怒りがあるなら、ちゃんと怒りを出す場を作りましょう。
おそらく、身を焼き尽くすのではないか、というくらいの怒りがあるはずです。
怒りを聞いてくれる親族、友人、カウンセラーに「自分はなぜ怒っているか」を口に出して話しましょう。
そして、聞く方は「平時の倫理」を問うのではなく、「怒りを受けとめて、どれほど深い怒りなのか、自分の中で感情を再現」してみましょう。
そして「あなたがどれだけ辛い思いをしているか」を共感とともに言葉で伝えましょう。
自分が自死遺族となって、最後に残る感情が「怒り」だった、という人も少なくありません。
しかし、「怒るなんておかしい」「怒りを自分で消化しないと」と、内なる感情を否定すると、自分で自分を追い込むことにつながります。
怒ってもいいのです。怒りをちゃんと出して、聞いてもらいましょう。
それが、身を焼き尽くす怒りを乗り越える第一歩です。