自死遺族になった人を支えようとした方、特にこれまで辛く困難な経験を乗り越えてきた方にありがちなのが「話泥棒」です。
そして話泥棒の対局にあるのが「傾聴」です。
以下で見ていきましょう。
話題を自分の話に関連付けて長々と話してしまう=話泥棒
例えば、以下のような場面を思い浮かべてみてください。
Aさんは30代で、少し前に家族が自死し、自死遺族となった。
Bさんは現在50代で、これまで色々な苦難を乗り越えてきた人。Aさんの先輩格でとても思いやりが深い人。
Aさんは辛さを聞いてもらおうと思い、Bさんの所に行き話を切り出す。。。
が、Aさんが何か話をすると、Bさんは「確かにそうよね。私も30代のころこういうことがあって、、、そのときこう考えて、、、おかげで何とか乗り切っていまがある」というように、Aさんが何かを話すたびに、Bさんは自分の経験や考えと結びつけて、ひたすら話してしまう。
話が終わった後、Bさんは「長時間いい話をたくさんできた。Aさんもさぞかし喜んでくれただろう」と思うが、Aさんは「Bさんは自分の話をしたかっただけで、私の話をあまり聞いてもらった感じがしない」と思ってしまう。
これが話泥棒です。
前提としてですが、話泥棒をする人の多くは悪い人ではありません。上位のBさんの例でも、Bさんは純粋な善意から話をしています。
しかし、話泥棒の人の多くは、自分が話すことが好きで、多くの人との会話の多くで「相手の話を聞く」よりも「自分から話す」量の方が圧倒的に多いです。
そうしたコミュニケーション方法が常となっているため、自死遺族に対しても話しすぎてしまいます。
そして、話泥棒の人の多くは、自分が話泥棒をしているという自覚はありません。
自死遺族についてある程度理解がある人は、「自死遺族の話を傾聴する」ことの重要性について理解しています。
しかし、自死遺族についての理解がない人は、「善意で」話泥棒をしてしまい、傾聴してくれないのです。
話すことより傾聴が重要
いくら過去の自身の経験や乗り越え方、助言や励ましなどを話したところで、傾聴がなければあまり意味がありません。
自死遺族は、大変に辛い自分の思いを、自分の言葉で紡ぎ出そうとしています。そして支える側は、相手になり切ってその言葉の重さ、裏にある複雑な感情を「心で感じ」ます。
これが傾聴です。
傾聴に関しては、厚生労働省のサイトが参考になります。
厚生労働省のサイトでは、傾聴について以下の3点が記載されています。
1.共感的理解 (empathy, empathic understanding)
相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとする。2.無条件の肯定的関心 (unconditional positive regard)
相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。相手の話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。其のことによって、話し手は安心して話ができる。3.自己一致 (congruence)
聴き手が相手に対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。
この中で最も大切なのは、1の共感的理解です。
というのは、私たちは毎日、会話や出来事を「自分の立場で、自分の気持ちで理解」しています。
このため、何かの会話をしたり出来事に遭遇すると、自分目線で理解し、評価してしまいます。
上記のBさんの場合は、「大変に辛い物事を乗り越えてきた自分の経験からすると、自死遺族になることはそこまで大変ではない」という評価が入ってしまっていたり、「これだけ辛いのだから経験豊富な私の話が役に立つに違いない」という思い込みだったりします。
相手の立場に立って、相手の気持ちに共感することは、ある程度練習しないと難しいです。
そして、多くの人はこうした練習をしていないので、傾聴ができていないのです。
うまく話すことは重要ではない
自死遺族を支える前提として「うまく話すこと」は重要ではないです。
例えば傾聴した結果、出てきた言葉が「お辛いですよね」の一言しかないかもしれません。
しかし、傾聴して相手になり切って、感情を心で再現して出てきたのが、たった一言であったとしても、きちんと傾聴できていれば伝わります。
話すことよりも「相手の立場で、相手と同じように感情を動かして聞くこと」が大切です。
以前執筆した、「自死遺族に対する「アドバイス」に価値はない」の記事でも書いた通り、アドバイスや助言は大して意味はありません。
同時に、支える人の自分語りや経験談も大して役に立ちません。
ついつい話泥棒してしまいがちな人は、上記の傾聴の3原則を頭に入れてから自死遺族と相対してください。