自死遺族となり最も大きな衝撃を受けた方は、とても大変です。多くの人にとっては、人生で最も大きな苦しみを共に生きなければならないためです。
そして、そうした自死遺族を支える家族もまた、大変です。
「支える」という言葉の裏側
辛い苦しみの中にいる家族を支える。
言葉で言うのは簡単ですが、実際に本気で取り組もうとすると非常に大変なことです。
よく、自死遺族を支える家族は、事情を知る親戚や友人などから「あなたがしっかり支えてあげないと」などと言われます。
しかし、「しっかり支えないと」という言葉を言う人たちは、「支える」とはどのようなものかについて、理解がありません。
- 生活リズムの乱れを理解したうえで、最低限のリズムを整えるようにする
- 食生活の乱れを理解した上で、最低限の栄養を取らせるようにする
- 自死遺族となった苦しみと感情の激動について、ひたすら傾聴し理解を示す
- 時折やってくるフラッシュバックの際に、精神的に安心するように一緒にいてあげる
- 悪夢にうなされる家族を励ます
- 昼夜逆転に付き合う
- 「あなたがしっかりしていれば自死は起こらなかった」といった攻撃に耐える
- 「もう生きていたくない」という言葉を発するたびに、生きる意味と愛を伝える
- 状態があまりにひどくなったら、カウンセラーや医師に相談しにいく
- 気乗りしない当人を、カウンセラーや医師に連れていく
列挙すると、まだまだありそうです。
支える、というと一言ですが、この言葉はとてつもない忍耐力と愛情により裏付けられているのです。
そして、自死遺族となった後の感情の動きは、平時とは全く異なります。
いくら平時に忍耐力と愛情にあふれている人であったとしても、自死遺族となった家族の乱高下する感情に常に向き合うことは非常にしんどいのです。
支える側も燃え尽きてしまいがち
最初に「懸命に支えよう」と思っていた人であっても、真面目に一生懸命支えようとすればするほど、精神的な逃げ道がなくなります。
近親者の自死により最も打ちひしがれている家族を支えようとすると、常に一緒にいなければと思ってしまいがちなためです。
常に一緒にいる、ということは、仕事などのやむを得ない外出を除き、常に一緒にいることを意味します。
つまり、常時自死遺族を支える役回りを背負い込み、自分の活動や趣味ができなくなってしまいます。
常時戦時体制のような状況で、精神を張り詰めて過ごし、支えねばと思うほどに、精神は逃げ場を失い、燃え尽き始めてしまいます。
何もしたくなくなる、自分の感情のアップダウンが激しくなる、過食や拒食といった症状が現れる、眠れなくなる、自分も悪夢を見るようになる、といった具合です。
この状態が進んでいくと、支える側が燃え尽きて、支えられなくなるだけでなく、治療が必要な状態になってしまいます。
ちなみに、支える側が燃え尽きてしまうのは非常にレアなケースではありません。
真面目に向き合い続ける、支え続ける家族であればあるほど、起こり得るケースです。
支える側は人生を楽しむことを忘れない
自死遺族で強い苦しみの中にいる家族がいたとしても、そうした家族を支え続けるには、支える側に余裕がなければいけません。
その余裕は、「自死遺族を支えること」以外の活動やコミュニケーションから生まれます。
例えば、趣味であったり、友人との食事であったり、一人になる時間を持って読書したりといった活動です。
こうした活動は、「自分は『自死遺族を支える家族』以外の人生があり、人生は楽しいし生きる意味がある」と改めて思えるために必要なものです。
いくら家族が苦しみの中にいるからといって、自分も同じレベルの苦しみに入ってしまっては、支える活力は生まれません。
家族を真剣に支えることと、自分の人生を楽しむことは矛盾しません。
むしろ、自分の人生を生きているからこそ、人を支えることができます。
苦しみの中にいる家族がいるのに、自分だけ楽しむなんて、、、と罪悪感を感じてしまうかもしれませんが、適度に息抜きをしてください。
適度に息抜きをするほうが、置かれた状況に飲み込まれず、状況を俯瞰することができます。
状況を俯瞰できるからこそ、自分が果たす役割だったり、求められる振る舞いだったり、自分の精神力の限界などがちゃんと見えてきます。
これにより初めて、長く安定して支えることができるようになります。