自死遺族となった悲しみ、苦しみを、同じ体験をした人と共有したい。こうした思いに沿った場が「分かち合いの会」となります。
各地方自治体や地元のNPOなどが、無料もしくは非常に低額な費用で定期的に開催していますが、この分かち合いの会のメリットとデメリットについてまとめてみました。
ちなみに、前提としてですが「分かち合いの会」を運営主宰している方々のほとんどは、自身が自死遺族だったり、自死遺族を支えたいという強い思いを持つ素晴らしい方々です。私は、分かち合いの会を主宰運営する方々を尊敬しています。ただ、会の素晴らしさとは別に、自死遺族のメンタル的に気を付けなければいけない部分を知って欲しいと思っています。
分かち合いの会のメリット
1.話してもよい場である
自死遺族となった方の多くは、自死遺族としての辛さ、苦しさ、悲しみについて、家族や心を許した一部の人、カウンセラーなどにしか話せていない方が大多数です。
そして、これらの体験について話せる人は基本的に増えていきません。よって、同じ人たちに、同じような話を何度もしてしまうことになります。
話を聞く側は、できるだけ支えたいと思って一生懸命聞きますが、それでも疲れてしまうこともあります。
打ち明けられる話があまりに重いので、受け止めきれず離れてしまう友達もいるでしょう。
しかし、分かち合いの会は「話してもよい場」です。自分がどれだけ悲しく、辛く、毎日を乗り越えるのが大変かについて話しても大丈夫です。
もちろん、一人の人があまりに長く話をすると、全体のバランスが悪くないので、時々話の「交通整理」があります。とはいえ、常識の範囲内であれば途中で遮られることもありません。
2.他の自死遺族の経験を聞く場である
自死遺族の多くは、苦しみから抜けられず周りに迷惑をかけてしまっていることに罪悪感を感じている人が多いです。
「他の家族は何とか毎日を回しているのに、私だけ苦しんで何もできず申し訳ない」といった感情です。
そして「苦しみに苛まれている自分はおかしいのではないだろうか」「抜けられない自分はダメではないだろうか」とも思ってしまいがちです。
しかし、分かち合いの場では、自分と同じくらいの深い苦しみが故に日常生活に支障をきたしている人の話も聞くことができます。
他の自死遺族の話を客観的に聞くことで、「そうか、苦しいのは自分だけでなく、他のみんなも苦しいのか」と思え、苦しみの中に居続けている自分がおかしいわけではないと確信できます。
3.安全でしがらみのない人たちのいる場である
これまで、または現在所属している色々なコミュニティがあるかと思います。例えば、「高校」「大学」「卒業生コミュニティ」「仕事」「趣味サークル」「地域の活動」などです。
こうしたコミュニティに所属している友人知人は、自死遺族について理解があるかどうかも知りませんし、自死遺族となった自分のことを言いふらす可能性があります。
そして、自死遺族としての苦しみについて聞いてもらう準備ができていない人がほとんどです。
(理解のない人は、「今は大変だけど、乗り越えれば何とかある。頑張って毎日を過ごしてね」ということを平気で言ってしまいます)
つまり、これまで所属してきたコミュニティの人たちに、自死遺族としての苦しみを打ち明けることはとても危険なことです。
また、これまで自分がコミュニティの中で果たしてきた役割や人間関係の中に、自死遺族の感情という極めてプライベートなものを持ち込みたくない人も多いでしょう。
分かち合いの会は、自分がこれまで属してきたコミュニティとは完全に切り離された全く別で、安全な場です。
自死遺族という辛い共通体験がある、という一点で集まってきた人たちの場です。
苦しみや悲しみの感じ方、表出のさせ方は人により違いますが、同じ苦しみや悲しみを持っているからこそ、分かち合いの場に来ています。
また、どの分かち合いの会でも、「この場で聞いたことは、決して口外しないでください」と必ず言われます。
本当に話を漏らさないかは、分かち合いの場に出席した人の良心に委ねられますが、自分の苦しみや悲しみの話も相手は聞いています。参加した人みんなが、全員の苦しみや悲しみと言った秘密を聞いているわけですので、秘密が守られる可能性は高い、つまり安全な場である言えます。
4.リアルに人と人が集まる場である
人と人が物理的に同じ場所に集まって、直接顔を向き合って話をする。
こうしたリアルな場であることは大きな価値があります。
苦しみの中にいる自死遺族の方には、普段は家族以外の顔を見ることもない人も多くいます。
こうした人が、家族以外の人と顔を突き合わせて話を聞いて、表情を見て感情を動かし、そして自分から話して感情を動かす。
電話やネットを超えた価値があります。
5.「分かち合いに参加すること」自体が、行動する理由になる
自死遺族となり、毎日をやり過ごすことが辛いと、何かをしなければならないが、何もしたくないと思われる方が多いです。
こうした方は、家族と同居していると、家族が日常生活をサポートしてくれるため、肉体的、精神的な活動をする理由がなくなっていくこともあります(例:食事と最低限の活動以外は引きこもってしまう)。
しかし、分かち合いに参加することは、身支度を整えて、時間通りに家を出て、交通機関に乗って外出するという大きな動機付けになります。
外出すら難しくなっている自死遺族の方にとっては、「少なくとも毎月の分かち合いの会だけは外出しよう」というように、小さな活動の目標にもなります。
分かち合いの会のデメリット
分かち合いの会には多くのメリットがありますが、たった1つだけデメリットがあります。
1.他の人と比較して落ち込んでしまう
例えば、家族が自死して2年間活動的になれない人が分かち合いの場に来たとしましょう。
そして、同じ場にいる人が「1年間存分に苦しみましたが、今は日常の活動ができるようになりました」と発言した場合、「他の人は1年で日常が回せているのに、自分は2年たっても何もできないなんて、自分が劣っているのではないか。頑張りが足りないのではないか」と、自分を責めてしまうことがあります。
真面目で一生懸命な方ほど、自分に厳しいのでそのように思ってしまいがちです。
相対的に自分は劣っていると自分を責めてしまうと、せっかく分かち合いの会に来れるほどにまで溜めてきたエネルギーが失われることもあります。
どんな話を聞いても自分を責めず比較しない
分かち合いの会自体は、とても意義深い活動です。ただ、相対的に物事を見てしまい自分を責めてしまう危険があります。
そうならないためには、「回復の仕方、回復にかかる時間は人それぞれだ」という思いを持ち、比較しないことです。
大切な人を失ったという経験は同じでも、これまでの人生全てが同じであるはずはありません。
それぞれの生い立ち、人間関係のもとに人生は作られています。よって、比較などできるはずがありません。
よって、「自分は自分。焦ることなど何もない」という平常心を忘れないようにしましょう。