自死
自死遺族分かち合いの会のメリットとデメリット | シンパス相談室
自死遺族となった悲しみ、苦しみを、同じ体験をした人と共有したい。こうした思いに沿った場が「分かち合いの会」となります。 各地方自治体や地元のNPOなどが、無料もしくは非常に低額な費用で定期的に開催していますが、この分かち合いの会のメリットとデメリットについてまとめてみました。 ちなみに、前提としてですが「分かち合いの会」を運営主宰している方々のほとんどは、自身が自死遺族だったり、自死遺族を支えたいという強い思いを持つ素晴らしい方々です。私は、分かち合いの会を主宰運営する方々を尊敬しています。ただ、会の素晴らしさとは別に、自死遺族のメンタル的に気を付けなければいけない部分を知って欲しいと思っています。 分かち合いの会のメリット 1.話してもよい場である 自死遺族となった方の多くは、自死遺族としての辛さ、苦しさ、悲しみについて、家族や心を許した一部の人、カウンセラーなどにしか話せていない方が大多数です。 そして、これらの体験について話せる人は基本的に増えていきません。よって、同じ人たちに、同じような話を何度もしてしまうことになります。 話を聞く側は、できるだけ支えたいと思って一生懸命聞きますが、それでも疲れてしまうこともあります。 打ち明けられる話があまりに重いので、受け止めきれず離れてしまう友達もいるでしょう。 しかし、分かち合いの会は「話してもよい場」です。自分がどれだけ悲しく、辛く、毎日を乗り越えるのが大変かについて話しても大丈夫です。 もちろん、一人の人があまりに長く話をすると、全体のバランスが悪くないので、時々話の「交通整理」があります。とはいえ、常識の範囲内であれば途中で遮られることもありません。 2.他の自死遺族の経験を聞く場である 自死遺族の多くは、苦しみから抜けられず周りに迷惑をかけてしまっていることに罪悪感を感じている人が多いです。 「他の家族は何とか毎日を回しているのに、私だけ苦しんで何もできず申し訳ない」といった感情です。 そして「苦しみに苛まれている自分はおかしいのではないだろうか」「抜けられない自分はダメではないだろうか」とも思ってしまいがちです。 しかし、分かち合いの場では、自分と同じくらいの深い苦しみが故に日常生活に支障をきたしている人の話も聞くことができます。 他の自死遺族の話を客観的に聞くことで、「そうか、苦しいのは自分だけでなく、他のみんなも苦しいのか」と思え、苦しみの中に居続けている自分がおかしいわけではないと確信できます。 3.安全でしがらみのない人たちのいる場である これまで、または現在所属している色々なコミュニティがあるかと思います。例えば、「高校」「大学」「卒業生コミュニティ」「仕事」「趣味サークル」「地域の活動」などです。 こうしたコミュニティに所属している友人知人は、自死遺族について理解があるかどうかも知りませんし、自死遺族となった自分のことを言いふらす可能性があります。 そして、自死遺族としての苦しみについて聞いてもらう準備ができていない人がほとんどです。 (理解のない人は、「今は大変だけど、乗り越えれば何とかある。頑張って毎日を過ごしてね」ということを平気で言ってしまいます) つまり、これまで所属してきたコミュニティの人たちに、自死遺族としての苦しみを打ち明けることはとても危険なことです。 また、これまで自分がコミュニティの中で果たしてきた役割や人間関係の中に、自死遺族の感情という極めてプライベートなものを持ち込みたくない人も多いでしょう。 分かち合いの会は、自分がこれまで属してきたコミュニティとは完全に切り離された全く別で、安全な場です。 自死遺族という辛い共通体験がある、という一点で集まってきた人たちの場です。 苦しみや悲しみの感じ方、表出のさせ方は人により違いますが、同じ苦しみや悲しみを持っているからこそ、分かち合いの場に来ています。 また、どの分かち合いの会でも、「この場で聞いたことは、決して口外しないでください」と必ず言われます。 本当に話を漏らさないかは、分かち合いの場に出席した人の良心に委ねられますが、自分の苦しみや悲しみの話も相手は聞いています。参加した人みんなが、全員の苦しみや悲しみと言った秘密を聞いているわけですので、秘密が守られる可能性は高い、つまり安全な場である言えます。 4.リアルに人と人が集まる場である 人と人が物理的に同じ場所に集まって、直接顔を向き合って話をする。 こうしたリアルな場であることは大きな価値があります。 苦しみの中にいる自死遺族の方には、普段は家族以外の顔を見ることもない人も多くいます。 こうした人が、家族以外の人と顔を突き合わせて話を聞いて、表情を見て感情を動かし、そして自分から話して感情を動かす。 電話やネットを超えた価値があります。 5.「分かち合いに参加すること」自体が、行動する理由になる 自死遺族となり、毎日をやり過ごすことが辛いと、何かをしなければならないが、何もしたくないと思われる方が多いです。 こうした方は、家族と同居していると、家族が日常生活をサポートしてくれるため、肉体的、精神的な活動をする理由がなくなっていくこともあります(例:食事と最低限の活動以外は引きこもってしまう)。 しかし、分かち合いに参加することは、身支度を整えて、時間通りに家を出て、交通機関に乗って外出するという大きな動機付けになります。 外出すら難しくなっている自死遺族の方にとっては、「少なくとも毎月の分かち合いの会だけは外出しよう」というように、小さな活動の目標にもなります。 分かち合いの会のデメリット 分かち合いの会には多くのメリットがありますが、たった1つだけデメリットがあります。 1.他の人と比較して落ち込んでしまう 例えば、家族が自死して2年間活動的になれない人が分かち合いの場に来たとしましょう。 そして、同じ場にいる人が「1年間存分に苦しみましたが、今は日常の活動ができるようになりました」と発言した場合、「他の人は1年で日常が回せているのに、自分は2年たっても何もできないなんて、自分が劣っているのではないか。頑張りが足りないのではないか」と、自分を責めてしまうことがあります。 真面目で一生懸命な方ほど、自分に厳しいのでそのように思ってしまいがちです。 相対的に自分は劣っていると自分を責めてしまうと、せっかく分かち合いの会に来れるほどにまで溜めてきたエネルギーが失われることもあります。 どんな話を聞いても自分を責めず比較しない 分かち合いの会自体は、とても意義深い活動です。ただ、相対的に物事を見てしまい自分を責めてしまう危険があります。 そうならないためには、「回復の仕方、回復にかかる時間は人それぞれだ」という思いを持ち、比較しないことです。 大切な人を失ったという経験は同じでも、これまでの人生全てが同じであるはずはありません。 それぞれの生い立ち、人間関係のもとに人生は作られています。よって、比較などできるはずがありません。 よって、「自分は自分。焦ることなど何もない」という平常心を忘れないようにしましょう。
自死遺族を支える家族は命日反応にどう向き合うか | シンパス相談室
私事になりますが、自死した家族の何度目かになる命日が過ぎました。 今回は、命日反応に対する家族の対応のポイントについてお伝えします。 命日が近づくにつれ感情の動きが大きくなる 今回は、自死遺族となり強い衝撃を受けている家族がいて、その家族を支える側の視点でお伝えします。 まず、当然のことですが、自死遺族となったその日のことは強い衝撃とともに記憶されます。 これは生涯忘れることのない記憶です。関係が近ければ近いほどそうです。 しかし、時間の経過とともに、自死遺族となった日の記憶の濃度は薄まっていきます。 自死遺族となった直後は毎晩悪夢にうなされて、命日となった日のことを鮮明に思い出していた方であっても、時間の経過とともに、記憶の鮮明度合いは薄まります。 自死遺族となった方を忘れるわけでもありませんし、自死遺族となった日の出来事を忘れるわけではありません。 ただ、1年前はずいぶんと鮮明に、具体的に覚えていた記憶でも、記憶の一部はやや抽象的に、ぼんやりとしてきます。 そして時間が経つとともに、鮮明さ度合いは徐々に落ちていきます。 もちろん、記憶の鮮明さ度合いが減るとともに、苦しみが正比例して減っていくわけではありません。 ただ、自死遺族として向き合うことで、徐々に死を受け入れていき、急性の苦しさや感情の激動は減っていきます。 命日反応は、平時には抑えることができる、または抑えられるようになった感情が、再び劇的に動くタイミングです。 例えば、「3月15日」という日はこれまで何の意味も持たなかったのが、この日に愛する人や家族、近親者が自死して命日になった場合、この日は特別な意味を持ちます。 そして、毎年の命日が近づくにつれ、亡くなった方、または亡くなった日のことをより具体的に思い出そうとしたり、または特に意識せずに思い出されたりします。 普段は忘れていたようなこと、命日に起こったことの細部が頭をよぎります。 多くの自死遺族の方は、他の家族を心配させまいと、こうした感情の動きをそのまま出さずにできるだけ抑えるようにしています。 自分が突然泣いたり、怒りや悲しさをぶつけられたりしたら、他の家族は困るだろうと思うからです。 しかし、感情を完璧に抑えられる人はいません。 そして、抑えようとしても漏れ出てくる感情はあります。 まず、漏れ出てくる感情は、何気ない会話や態度の違和感といった形で表出します。 「あれ、いつもとちょっと違うな」「ちょっと怒りっぽい気がする」「一人で部屋にいる時にずいぶんと泣いていたようだ」といったものです。 そして、こうやって何とか抑えていた感情がどうにもこうにも抑えられなくなると、目の前で突然泣き出したり、怒りをぶつけられたり、嘆かれたりします。 「突然」に見えますが、実は徐々に水位が高まってきて、満ちた水が一気に放出されるように感情が出てきます。 命日が近づいてきたら特段の注意を払う 支える側の家族からすると、命日が近づくにつれ、感情のジェットコースターが再びやってきて、どう対応するのが最も家族の為になるのか困惑することもあります。 どう対応するかについて、最善の解はありませんが、できることはあります。 それは「命日が近づいてきたら、ちゃんと意識して、自死と関係する事柄、関係しない事柄についても刺激しない」ということです。 多くの自死遺族の方は、自死された家族について、自死遺族となった自分について、色々な物事や出来事と関連づけて考えてしまいがちです。 他の人から見ると、「えっ、それって何も関係ないよね」と思えるような事柄であっても、関連づけて辛い記憶として呼び起こしてしまいます。 もちろん、こうした関連づけと想起は、時間の経過とともに頻度や強度は減っていくのですが、命日が近づくと再び強さが増します。 よって、支える側としては、言動や態度に特段気を付け、表情や反応をよく見て接することが望ましいです。 無用な口論やけんかは避けましょう。口論やけんかは強い感情を想起させやすいためです。 と言っても、はれ物に触るような態度だと逆によくないので、態度は自然に、でも注意力を増して過ごしましょう。 平時に命日反応について話しておく もし、話せるようでしたら、事前に命日反応について話しておくのも良いかもしれません。 「命日が近づくにつれ、感情が大きく変化すると思うのだけど、どう接するのが一番あなたのためになるか、話せるかな」と切り出して、命日が近づいてきたら何をしてほしいか、どう接してほしいかを聞くのがよいかもしれません。 自死遺族の中には、「命日が近づいてきたら、悲しみを再び共有したい」人もいれば、「あまり触れずに過ごしたい」という人もいます。誰にでも当てはまる回答はありません。 よって、各人が何を望んでいるかを聞いておくと、よりよく対応できるかと思います。 もちろん、「悲しみを共有したい」と言っていた人が、近づくとやっぱり「あまり触れられたくない」と感情が変わるかもしれません。 「言っていた通りに対応したのに、違う」と思ってしまうかもしれませんが、もちろんそのことを責めてはいけません。 感情の大波は、実際に来てみないと自分の感情がどう動くか分からないことも多々あるためです。 本人に要望を聞けるようであれば、あらかじめ聞いたうえで準備、対応し、変化があれば即座に対応しましょう。
自死遺族カウンセラーに依存しない | シンパス相談室
自死遺族の家族向けの電話相談室をやっている立場で言うのも何ですが、カウンセラーへの依存は望ましくありません。 以下で見ていきましょう。 自死遺族カウンセラーのメリットとデメリット 自死遺族の方が苦しみを口にすると、支える家族は何とか苦しみを受け止め、共有し、回復させようと試行錯誤します。 しかし家族から見て、考えていた通りに回復してくれない、支えるのが思ったよりも大変だった、支える側のストレスが大きすぎる、そんな苦しい状況に直面することもあります。いえ、そういう状況に直面するほうが普通です。 支えるのに疲れ果てた家族の一部は「カウンセラーを使おう」というアイデアを思いつきます。しかし、自死遺族向けのカウンセラーもいいことばかりではありません。メリットとデメリットの両方があります。 メリット 家族のエネルギーを消費せずに済む まず最も重要な点を上げます。自死遺族が電話でカウンセラーに相談している間、家族は苦しみを受け止めて疲労する必要がありません。家族は家族で、それぞれ自分の人生や仕事や学業、家事が待っていますので、カウンセラーの力を借りると自分の人生を回せる日が増えます。そして、自分の人生を回せる日が増えると、ストレスは減ります。これはとても良いことです。 外部の人が関与してくれる 家族が話を聞くのと、外部の人が話を聞くのでは別な効能があります。それは、家族以外の人に分かってもらった、理解してもらったという「共感してもらった感」であったり、自分だけが苦しんでいるわけではないことを改めて知る「安心感」だったりします。 お金を対価としてもらっているので、プロとして対応してくれる 家族が頑張ってサポートしても、自分の日常がどんどん削られてくると、精神的に疲弊して怒りっぽくなったり、冷静に振舞えないことがあります。また、疲れからか、うっかり言ってはいけない発言をしてしまうこともあります。カウンセラーは、お金をもらって仕事として、プロとして話を聞くので、冷静に、怒らず話を聞く人がほとんどです。 過去の相談の蓄積がある 経験豊富なカウンセラーであればあるほど、多くの自死遺族の苦しみに触れています。また、自身が自死遺族として強い苦しみを経験し、回復し、乗り越えてきた方も少なくありません。 デメリット 高額である 当相談室を例にとると、2018年4月現在で1時間6,000円 (税別)の費用を頂戴しております。この金額より安い電話相談や対面カウンセリングもあれば、高額なところもあります。ただ、共通して言えるのは、毎日電話していたら相当な金額になる、ということです。 例えば、1時間6,000円を毎日1時間電話していたら、1カ月で18万円もかかってしまいます。カウンセリングや電話相談に月18万円を出せる方はそう多くないはずです。 家族がカウンセラーに任せればいいと当事者意識をなくす 良いカウンセラーに出会った場合の話です。自死遺族の方が、カウンセラーに電話した後に元気そうにしていると、「そうか。自分たち家族よりもカウンセラーの方が優秀だから、カウンセラーに任せればいいや」と、カウンセラーに積極的に頼るように勧める家族もいます(特にお金に困っていない家族であればそうです)。良いカウンセラーから、定期的にカウンセリングを受けることは、もちろん悪いことではありませんが、カウンセラーに依存すると、一部の家族は「カウンセラーに丸投げ」してしまったり、「支える力を高めようとしなくなる」のです。家族として、支える責任を放棄してしまう場合もあります。 カウンセラーがミスリードする可能性がある カウンセラーの一部は、積極的にアドバイスして、行動や精神の変革を促す場合もあります。これがぴったりはまるとよいのですが、行動や精神の持ちようの変革よりも、傾聴が必要である場合は、逆に自死遺族が追い込まれる場合があります。 カウンセラーに依存せず、適度に使う カウンセラー自体が良い、悪いというわけではありませんが、使い過ぎは間違いなく良くありません(話せる家族が一人もいないが、お金はたくさんある、という例外を除く)。 お金の切れ目は、カウンセリングの切れ目です。いくらよいカウンセラーでも、お金が払えなくなればそこで終わりです。家族とは違います。 また、カウンセラー依存になると、支えるはずの家族が、支えるという意識を失ってしまいます。さっさと自分の生活に戻ってそちらの方に集中し、何かあれば「カウンセラーに電話したら?」と当事者意識をなくしてしまうのです。 ただ、カウンセラーを使うメリットはもちろんあります。自死遺族本人に合ったカウンセラーが関与することで、自死遺族本人だったり、支える家族の大変さを和らげることもできます。また、当相談室のように、支える側の家族のストレスを減らす、というアプローチもあります。 カウンセラーは魔法の解決策を提供してくれるものではありません。メリットとデメリットをよく理解したうえで「使う」ことが大切です。あくまでも、回復にとって一番大切なのは自死遺族とそれを支える家族であることを忘れないでください。
自死遺族に対する「アドバイス」に価値はない | シンパス相談室
自死遺族となり、大きな悲しみや苦しみの中にいる人に対峙すると、善意で「何とかしてあげないと」「回復への道を探してあげないと」「客観的な視点でアドバイスしないと」と思ってしまいがちです。 しかし、それは違うよ、という話をさせていただきます。 他人の「アドバイス」など聞きたくはない アドバイスという意味をGoogleで調べると「助言。また、忠告や勧告」とありました。助言、忠告、勧告というのは、要するに「こうしたほうがよい」「こう考えたほうがよい」というように、行動や思考の変化を促す言動です。 では、なぜ自死遺族に直面行動や変化を促す必要があると感じるのか、というと「これまでの人生で経験したことない大きな悲しみ、苦しみの中にいる」のが明らかだからです。 「苦しみが少しでも減って欲しい」「悲しみを癒すことを何かしてあげたい」と思う家族がやってしまいがちなのが、まさにアドバイスです。 行動のアドバイスはこのようなものです。 家の中にばかりいると、体調が悪くないので外に出て運動でもしたほうがよい。 食事のバランスが悪いので、しっかり食べたほうが良い。 夜はしっかり寝られるように、昼間少しでも活動したほうがよい。 何かできそうなことを毎日やったほうが良い。 そして、思考や精神に関するアドバイスはこのようなものです。 亡くなった故人は、自分の意思で旅立ったのだから、あなたの責任ではない。自分を責めるのはやめて。 亡くなった故人のためにも、しっかりしないと。 悲しんでばかりいると、精神を病むので、精神をリフレッシュしないと。 こうしたアドバイスは善意によってなされます。しかし、ほとんど全て意味のないだけではなく、有害なのです。 辛い状況にいる自死遺族からすると「そんなことは分かっている。でも、動けないから、精神を変えられないから苦しいのだ」というのが本音です。 アドバイスするのを我慢して、傾聴する 必要なのは、自死遺族の苦しみを繰り返し聞いて、その辛さを自分の中で再現して、共感することです。傾聴とも言います。 「傾聴」をGoogleで調べると「(耳を傾けて)熱心にきくこと」とあります。 そうです。必要なのは、「耳を傾けて熱心に聞くこと」が先で、「相手を救おうとする使命感から意見すること」ではないのです。 特に男性の多くは、「問題がそこにある → 問題の解決策を考える → 提案する → 試行錯誤しながら問題解決する」と、仕事のように考えてしまいがちです(論理的な問題解決を日々行っているビジネスマンほど、こうした考えに容易に陥ってしまいます)。 ただ、自死遺族の苦しみは感情からきています。論理的に問題解決できるものでもありませんし、客観的、普遍的な解決策があるわけではありません。 よって、まずはアドバイスをあきらめましょう。周囲にいる人が知恵を絞ったところで、光り輝くような解決策が出てくることはまずありません。 解決策を考える代わりに、「アドバイスしなければ」「解決策を考えなければ」という思いを取っ払って、「相手はどのように苦しいのだろうか」という思いで話を聞きましょう。 話を聞いて、その言葉からどのような苦しみや悲しみが背景にあるかを想像し、相手がこのように感じているのだろうな、という思いを再現して、口に出してみましょう。 表面に出ている言葉は、自死遺族の苦しみや悲しみの氷山の一角です。氷山の下には、もっと大きく強い感情があります。 その感情に思いを向け、感じて、そんな苦しみや悲しみの最中にある相手がどれだけ辛いかに思いをはせて共感するのです。 例外的に、アドバイスが必要な場面 自死遺族と対峙する際に、基本的にアドバイスは不要です。アドバイスが必要な状況は、以下の2つに限られます。 1.肉体的、精神的状況が平時と比べて、著しく悪化しているとき このような状況では、客観的に「普段と比べて体調が悪いみたいだから病院に行こう」「薬を飲もう」というアドバイスが必要です。ポイントは「平時と比べて著しく悪い」ということです。 普段から、むやみやたらと、病院とか薬という言葉を出すべきではありません。傾聴に疲れたから、言うことに困って病院や薬を促すのでは逆効果です。 2.自死遺族本人が「アドバイスしてほしい」と言ったとき 普段はアドバイスがほしいと言わないのに、ごくまれにアドバイスを求めてくることがあるかと思います。こうした状況では、アドバイスをしましょう。 ここで大切なのは、二段飛び、三段飛びのような、難しい行動を促すアドバイスをしないことです。 「自死遺族となる前はこうしたことができていた」と、肉体的精神的に好調だった時にできていたことを、そのまま「やってみよう」などと言わないことです。 自死遺族の方の現在の状態を見て、小さな一歩を踏み出すための「小さな行動の変化」を促すアドバイスをしましょう。
自死遺族の、怒りを伴う感情のジェットコースターに寄り添う | シンパス相談室
支える人に怒りが向けられる さて、これまで繰り返しお伝えしてきた通り、自死遺族の感情は「悲しみ」「自責の念」だけではなく、より複雑な感情が表出します。例えば、「自分に対する怒り」であったり、「周囲の人に対する怒り」であったりします。 この中には、「あなたが、あの時こうしていれば、助かったかもしれない」的な「もしも」の話もありますし、「自死で私はこんなに苦しんでいるのに、あなたが平然と毎日を送っていることが腹立たしい」といった八つ当たり的なものもあるかもしれません。 しかし、これはおかしなことではありません。自死遺族の感情は、ジェットコースターのようなものです。アップダウン、だけでなく、うねり、もあります。 嘆き悲しんだかと思ったら、今度は支える側の自分を攻撃してくる、そして自責の念について語った後で、今度は故人に対する怒りが表出する。そして、同じことを繰り返す、といった具合です。 支える側からすれば、「辛さを受け止めたい」「回復してほしい」というポジティブな感情でサポートしているはずなのに、時にはいわれのない理由から攻撃されることもあります。 自死遺族を支える大変さは色々な側面がありますが、「感情のジェットコースター」、特に「時には支えてくれる周囲の人を攻撃するほどの感情が表出する」ことは、支える側からすると最も大変なことの一つではないかと思います。 「自分は、回復を信じて善意で支えているはずなのに、なぜ攻撃されねばならないのか」と、時にはウンザリしてしまうこともあるでしょう。 怒りはずっと続くわけではない 自死を教唆したのでもなければ、自死した方の周囲の特定の人物に明確な責任がある場合はほとんどないでしょう。 論理的に言えば、支えてくれている周囲の人に怒りをぶつけることは「お門違い」「八つ当たり」です。 しかし、この感情のジェットコースターに振り回されて、あらゆる感情が繰り返し繰り返し表出している自死遺族は、支える人よりももっと辛い思いをしているのです。 自死遺族の方は、支えてくれる人に怒りをぶつけたくて、そうしているわけではない、でも、こみあげる感情を抑えられないのです。そして、感情を抑えられない自分にも嫌気がさしてしまうのです。 とはいえ、こうした怒りを受け止める周囲の方の苦労は大変なものです。いつ、どのような感情が表出してくるか分からない自死遺族に寄り添って、全て受け止めなければならないためです。 特に配偶者の方は大変だと思います。 しかし、もちろん希望はあります。 こうした強い怒り、支えてくれる人に向けた怒りや攻撃はずっと続くわけではありません。 あらゆる感情を表出させることを繰り返していく中で、自死遺族の方は自分なりに愛する人の自死を位置付ける、受け入れていきます。 受け入れるには、数年かかる場合もあれば、もっと長い時間が必要な場合もあります。 しかし、周囲の人に対する、怒りを伴う感情が表出し続けるのは、自死から数カ月から1年程度であることが多いです。 愛する人の自死を受け入れるには、もっと長い時間が必要ですが、急性ともいえる感情のジェットコースターはそこまで長期間続くわけではないのです。 よって、数カ月から1年程度のジェットコースターのような期間は、自死遺族を支える周囲の方は「怒り」に対して「怒り」で反応するのではなく、「怒り」に対して「愛情」「共感」で反応するように努めてください。 支える側の辛さを話し、共感してもらうことが必要 とはいえ、「怒り」に対して常に「愛情」「共感」で反応することは難しいです。 これを繰り返していると、支える側のストレスが溜まってしまったり、精神的に追い詰められることさえあります。 もし、あなたが特に好きな趣味があるのであれば、あえて時間を取って趣味などでストレスを発散してください。 また、趣味をしてもストレス発散できない、そこまでの趣味はないという方は、自分の辛さを話せる相手を見つけてください。 ここで大切なのは、「ああしたほうがいい」「こうしたほうがよい」というアドバイスを出す相手は適任ではないということです。 男性に特に多いのですが、辛い話をされるとすぐに「解決策」を探し求めてしまう人がいます。もちろん、これは善意です。 しかし、ちょっと話を聞いたくらいで大きく事態が変わるようなアイデアは出ませんし、むしろそうした解決策の押しつけは「支える側の辛さに共感する」のではなく「事実にどう対応するか」という感情の面が抜けた対応になってしまいがちです。 よって、仕事での優秀さのような「問題解決力が高い」人ではなく、話していると安らぐ「共感力の高い」人に話を聞いてもらいましょう。 「大変ですね、よく頑張っていますね、すごいとおもいますよ」。 こういう言葉だけでも、支える人にとっては大きな救いになったりするのです。
関係がこじれている人が自死。どう受け止めるか | シンパス相談室
愛憎半ばする人の自死。どう感情を整理すればよいのか 最愛の人を自死で失うことはとても辛いことですが、愛憎半ばする人、関係がこじれたままの人が自死で亡くなり、自死遺族となった場合には別の苦しみがあります。 暴力 精神的虐待 性的虐待 ネグレクト 育児放棄 不倫など異性関係 金銭問題 人格障害、など 親や兄弟姉妹、または配偶者が、上記に当てはまるような行動を取るような人であり、「自分との関係性が壊れている」、または「表面的には問題なく見えるが実体は壊れている」というような場合です。 何故複雑なのかというと、「そもそも愛憎半ばする人の自死をどのように受け入れればよいか」が、一般的な場合と大きく異なるからです。 例えば、問題のない家族が自死した場合、周囲の人はあなたのことを最大限気遣ってくれます。そして、その気遣いをそのまま受け止めることができます。 そしてこれが、関係に問題のある家族が自死した場合、周囲の気遣いをそのまま受け止めることはできません。 関係が悪かった家族に対して持つ複雑な感情は、一般的な自死遺族の感情、「悲しい」「寂しい」「悔しい」「自責の念」といった感情だけでは片づけられないからです。 複雑な感情となっている自分を責めず、無理をしない どのような複雑な感情が生まれるかを、いくつか例を挙げて見ましょう。 長らく家庭放棄していたが、数年に一度会っていた父親が自死。されたことは嫌なことばかりのはずなのに、思い出されるのは小さいときによく遊んでもらった記憶。 毒親だった母親が自死。これまで忘れていた楽しい記憶が思い出されるとともに、おぞましい記憶も同時に呼び起されてしんどい。 迷惑をかけて好き勝手生きてきた兄弟姉妹が自死。ある種冷めた目で見ている反面、自分に何かできたのではないかとも思えてしまう。 家族が亡くなったことを知人に告げると、「それは悲しいでしょう」「大変でしょう」と言われるが、その言葉をまっすぐに受け取れない。 感情の折り合いをつけて、ほどほどの距離を取って生きてきたはずなのに、精神的に強烈に揺さぶられる。 「悲しい」「寂しい」「悔しい」「自責の念」といった一般的な自死遺族に加えて、過去の良かった記憶と悪かった記憶の想起、純粋に悲しめず、かといって無視や憎しみだけで片付けることもできない感情、そしてそんな感情に振り回されている自分が心底嫌になる。といった具合です。 そして、こうした感情を誰にも打ち明けることができない、また打ち明けたところで理解されないという方も多いです。 例えば、子供を意のままにしてエネルギーを吸い取って生きる「毒親」について理解がない人からすると、親というのは「愛情を惜しみなく注いでくれて、子供の夢を後押ししてくれる尊敬できる存在」で、親の愛について疑ったことすらありません。 よって、こうした人に「毒親の自死と、その苦しみ」について話したところで、「親は絶対にあなたのことを愛していたはず」といった的外れな返答をされ、こうした会話そのものがさらに失望感を深めていくのです。 ここで大切なのは、まず「自分が込み入った複雑な感情を持っていることを認めて、それを責めない」ことです。 家族や近しい人たちと良好な関係を築くことができれば、それはとてもよいことですが、とはいえ、自分の努力とは全く別なところで人間関係が壊されてしまう、従属的な人間関係が作られてしまうことは、近しい人だからこそある話です。 そうした関係と自死によって引き起これたがゆえに、複雑な感情が生まれていることを認め、そしてその人間関係について自分を責めないようにしましょう。 そして、どのように感情の整理をつけるかについてですが、急ぐ必要はありません。 「このように位置付けた」「こう理解することにした」と、強引に感情を一方向に固定化させる必要もありません。 「良かった思い出」「悪かった思い出」を繰り返し想起することは苦しいですが、強い苦しみから脱して、こうした矛盾する感情を併存させることができる日が必ず来ます。
どうすれば自死を防げたのか延々と考えてしまう | シンパス相談室
悲しい、苦しい問いだと分かっているが繰り返し考えてしまう 大変に悲しいことですが、自死により亡くした人は、いくら努力しても戻ってきません。 しかし、「どうすればこの自死を防ぐことができたのか」という問いを、何度も繰り返し考えてしまう自死遺族の方は少なくありません。 もちろん、自死遺族の方は、こうした問いを繰り返しても愛する人が戻ってくるわけではないことは、分かっています。 また、「どうすれば防げたのか」という問いを繰り返すことで、「防げなかった自分」に対する自責の念を強める、つまり考えれば考えるほど辛い思いになることは分かっています。 そして、こうした辛い場面に直面した家族や友人は、 「そうしたことを考えても愛する人は戻ってこない」 「考えれば考えるほど辛くなるだけ」 「愛する人は亡くなっても人生は続く。考えずに済むようになるといいね」 などといってしまう場合があります。 しかし、こうした回答は全て間違いです。 悲しい、苦しい問いだが、避けられない、避けるべきでない問い 命が戻ってくるわけではないのに、「どうすれば防げたのか」について考えるのは意味がないのでしょうか。 いいえ、そうではありません。 「どうすれば防げたのか」という問いを何度繰り返しても、納得のいく回答はありませんし、自責の念が増すことも多いでしょう。 しかし、こうした問いを繰り返すことは、自死遺族にとって避けられない過程なのです。 考えれば考えるほど辛い、考えれば考えるほど過去の自分を呪いたくなる、過去の不作為を恨めしく思う、それが「どうすれば防げたのか」という問いです。 しかし、愛する人との関係、その時の状況、自分ができたこと、できなかったことなどを、ひたすら洗い出して考えることこそ、愛する人の自死から逃げずに直面している証拠です。 愛している人を失ったから苦しい、その責任の一端が自分にあるかもしれないと思うともっと苦しい、でも繰り返し、繰り返し考える。 考えてもすっきりする回答が出ることはない。それでも考える。繰り返し考える。苦しい。辛い。 こうしたことを繰り返していると、起きているときも、寝て夢を見ているときも「どうすれば防げたのか」と考えていることさえあります。 しかし、「どうすれば防げたのか」という問いに逃げずに直面して考え続けているということは、愛する人の自死を受け入れて、その後の人生を歩んでいく第一歩です。 答えの出ない問い、どれだけ考えても変わらない現実に直面して苦しんだからこそ、自分なりの理解、受容が生まれるのだと私は思います。 考えることを否定しない。話を聞く。ただ体調には気を配る 自死遺族で最もダメージを受けた方を支える家族には何が必要でしょうか。 大切なのは、「否定せず話を聞く」ことです。 考えても考えても変わらない現実、それでも考えてしまうということについて、否定したり、別な行動を促したりするのではなく、話を聞いて共感しましょう。 いつ、どのような状況を振り返って、どのような感情が生まれているのか、その思いをどのように受け止めているのか、どのように辛く感じているのかです。 話を聞く際には、「自分だったらどう感じるか」ではなく、「相手の感情を再現して、相手と同じように感情を動かして感じる」ことが大切です。 決して自分の尺度で、相手の辛さや苦しみを測ってはいけません。 自分は辛くない、自分はこう考える、自分はこう解釈した、こうすればよい、といった「自分目線」の話や行動を促すことは何の役にも立ちません。 ただじっと、辛い話を聞き、共感しましょう。 唯一気を付けて欲しいのは、「どうすれば防げたのか」という問いに苛まれて精神のバランスを崩したり、極端に食べなくなっている場合です。 精神のバランスを大幅に崩すのであれば、考えることをやめるのではなく、投薬などで「一時休止」することも必要になるかもしれません。 また、食べなくなっている場合は肉体的な健康を損ねるので、一緒に食事をとるなど、食べさせる手助けを行いましょう。
自死遺族になっても日々の義務や責任を果たさねばと思ってしまう | シンパス相談室
2018年4月17日 自死
何もできない。やるべきことに向かえない、という苦しみ ある日突然に自死遺族となってしまった方の多くは、自死遺族としての苦しみだけでなく、日々やるべき仕事や家事があるのに、それに向かえないという苦しみにも直面します。 職場に行って、亡霊になったように最低限の仕事はするが、帰宅後何もできない。 取りたい資格があるのに、その勉強に向かえない。 炊事洗濯掃除といった、主婦がやるべき家事を何も行えなくなった。 自死遺族となった苦しみは消化しつつも、自分が進みたい人生に向かうために努力せねば、家族の一員として役割を果たさねば、という責任感や義務感がそうさせています。 家族が「今は大変な時期だから、仕事は少なくしたっていい」「家事は何とかみんなで回すから、今はやらなくても大丈夫」と、優しく言ってくれたとしても、こうした責任感や義務感がゼロになるわけではありません。 こうした思いが強ければ強いほど、「自分はみんなに迷惑をかけている」「申し訳ない」「早く立ち直らないといけない」と自分をさらに責めてしまいます。 自分を責めることは、心的な負担を増やすことですから、回復はさらに遅くなりかねないという事態に直面しかねません。 義務や責任を果たすことより、心の傷が応急処置が一番重要なこと 仕事において求められる役割を果たしたり、家庭で求められる役割を果たすことは平時においては重要なことです。 しかし、自死遺族となった今は非常時です。非常時には優先順位が変わります。仕事や家庭において役割を果たすことより、自死遺族となった方が心の応急処置をすることが最も重要です。 とはいえ、応急処置といっても楽な作業ではありません。 一定期間は繰り返し思い出し、嘆いて、悲しんで、怒って、無力感を感じ、といった感情のジェットコースターに向き合わねばならないからです。 大変つらい作業、辛い時間です。 しかし、自死遺族となった思いを押し込めて、向き合わずに過ごすと、心の傷を化膿させてしまい、あなたが後に生きていくエネルギーまでも奪ってしまいます。 また、その化膿した心の傷が重しになってしまって、「もう回復した」と思っても飛び立てない、思うように心をコントロールできない、という状態になってしまいます。 応急処置をするための猶予期間はそう長くありません。自死遺族となった直後数カ月から1年くらいが応急処置にかける時間ではないかと思います。 言い換えると、この期間はひたすら応急処置に向き合い、他のことの優先順位を一気に下げるべきなのです。 応急処置すべき時間は永遠ではありません。 だからこそ、自死遺族の方は「今は応急処置の時間なのだ。仕事がある程度できなくたって、家事をおろそかにしたって、それでもいい」というくらいの思いを持つと同時に、支える家族も「辛い応急処置に向き合うことを支え、役割を分担する」と決意して、日々を回しましょう。
回復を信じて言葉をかけ続ける | シンパス相談室
回復を信じ続けるのは意外と大変 自死遺族として打ちひしがれている家族や大切な人を目の前にしたときに、多くの人は「自分が頑張ってどうにか支えなければ」と思うはずです。 しかし、深い悲しみに打ちひしがれた状態が長く続くのを見ると、「本当に回復してくれるのだろうか」「『朝の来ない夜はない』というが、本当に朝が来るのだろうか」と信じられなくなる時もあります。支える側もしんどいのです。 愛する人の回復を信じられないほど疲れてしまっているとき 支えるのに頑張りすぎてしまったとき 辛さを受け止めすぎて精神のバランスが崩れていると感じたとき 昼夜逆転に付き合って肉体的にしんどいとき このようなときに「必ず回復する」という信念がつい揺らいでしまって、回復への疑念がついうっかり口に出てしまうことがあります。 苦しんでいる自死遺族からすると、周囲の人が「自分の回復を信じていない」のは大変に辛いことです。 ただでさえ、自死遺族となり日常生活が営めていないことに強い罪悪感、自己嫌悪感があるが、それでも何とか生きているのは、「この苦しみをやり過ごした先には、回復が待っている」と思っていたり、「愛する人たちにこれ以上迷惑をかけられない」という思いだったりします。 しかし、自分が回復しないのであれば、今後もずっと迷惑をかけ続けることになり、そして今と同じレベルの苦しみが続くことを意味します。 よって、支える側の人間は、自死遺族をさらに苦しめるような「回復を疑う言動、態度」をしてはいけません。しかし同時に、信じ続けて言動や態度に一切出さないようにするのは、なかなか大変なことでもあります。 愛する人に対して「愛と回復」の言葉をかけ続ける ここでお勧めしたいのは、「愛と回復の言葉をかけ続ける」ことです。 具体的には「大丈夫、私が支え続ける。今は苦しいけど、時間が経つと必ず良くなる。愛している」と言い続けることです。思っているだけでなくて、自死遺族で苦しむ相手に対して、繰り返し、繰り返し言うことです。 支える側もいっぱいいっぱいになると、「本当に回復するかどうか正直分からない」「こうした苦しみの日々がずっと続くのではないか」という思いにとらわれることがあります。 しかし、こうした言葉を繰り返し相手にかけてあげることが習慣になっていると、自分も自分自身の言葉で自己暗示にかかる、つまり「大丈夫だと思える」のです。 また、普段から愛と回復の言葉をかけ続けていれば、とっさの場面でうっかり「回復を疑うような発言」をしてしまう危険を減らせます。愛と回復の言葉をかけることが習慣になっているので、それと真逆の言動をとっさにしてしまうことは大きく減ります。 そして何よりも、「自死した愛する人、生き残った家族や恋人に対して、自分を責め続けている」自死遺族にとって、「回復を微塵も疑わない、揺らがない存在が周りにいて、一貫して温かい言葉をかけてくれる」ことほど、安心できることはありません。 日々、悲しみ、怒り、申し訳なさ、自責といった感情の大波がジェットコースターのようにやって来る自死遺族からすると、どっしりと安定した存在が近くにいて支えてくれる。それも、暖かい声をかけてくれる。それだけで、回復の道に近づくことができます。
自死した配偶者の親族に追い込まれる | シンパス相談室
「あなたのせいで子供が死んだ!」と責める義両親 配偶者の自死に直面した場合の夫、または妻の苦しみは非常に大きなものです。「自分の何が悪かったのだろうか」「どうして打ち明けてくれなかったのだろうか」「なぜ気づけなかったのだろうか」といった自責の念だけでなく、「今後どのように暮らしていこうか」「どのように子供を育てていこうか」「経済的に生活は成り立つのか」といった具体的ですぐに対処しなければならない問題にも直面します。 そして、ここで家族のサポートが得られるのであれば心強いですし、苦しみは減りはしませんが緩和されます。または、助けてくれる人がいない場合は、大変な状態ではありますが、新たな苦しみが作り出されることはありません。 最も大変なケースは、義両親といった配偶者側の親族が敵に回って攻撃してくることです。そして、これは少ないケースではありません。 配偶者の親、つまり義両親からすると生まれたときから育ててきた子供が、独立して、結婚して、そして自死を選んでしまったという大きな衝撃があります。夫や妻を失った配偶者も自死遺族ですが、子供を失った義両親もまた自死遺族です。 もし、義両親と残された配偶者との関係が良ければ、お互い自死遺族になって自分自身のことだけでも大変ではありますが、残された自死遺族同士という絆が生まれます。比較的早くに回復した人、または衝撃が相対的に大きくなかった人が、回復に時間がかかる人をサポートする、傾聴するといったサポートに回ることができます。 しかし、義両親と残された配偶者との関係が良くなかったり、義両親が子供の自死について過度に攻撃的になるような場合、残された夫、または妻が攻撃されることになります。 つまり、「子供が死んだのは、配偶者であるあなたのせいだ」「あなたがしっかりしてなかったから、子供は自死しか選べなかったのだ」と言葉で責めたり、「どう責任を取ってくれるのだ」といった脅迫まがいの攻撃をされることもあります。さらには、何かしらの理由を付けて裁判を起こされることさえあります。 こうした攻撃によってもたらせれる苦しみは、文字通り「地獄のような苦しみ」です。そして、こうした義両親からの攻撃がゆえに、自死した配偶者に対する怒りが非常に強くなるケースが多いのです。 義両親の攻撃を止めさせる方法はないが、助けを求めることはできる 子供が自死を選んだ苦しみから、残された配偶者が攻撃される。ただでさえ配偶者の方は自責の念が強いのに、です。 はっきり言ってこれは大変に理不尽な状況ですが、非常に少ないケースとも言えないのです。 こうした場合、残された配偶者の方が、怒り狂っている義両親に頭を下げて、「自分が悪かった、私のせいです」などと自分で責めることは、回復を遅らせるだけでなく、自責の念を強めることで精神的なバランスを崩したり、「もう生きていたくない」といった更に悪い方向に進んでしまいがちです。 必要なのは、さらなる自責ではなく、自分を守ることです。 もし義両親と距離を置けるのであれば、できるだけ距離を置くようにしましょう。ただでさえ苦しんでいる、残された配偶者の方にとって一番大切なのは、自分を守ることです。愛情や理解、共感ではなく、攻撃してくる人とは相互理解し合えることは難しいのです。 (念のためですが、こうした場合、時間をおいて最終的に相互理解できるようになるケースと、最後まで理解し合えないケースがあります。ただ、攻撃した側は「あの時はすまなかった」で済みますが、攻撃された側は自死遺族の苦しみが倍加するような攻撃をされるので、後に謝られても許す気にはなりにくいでしょう) 自分を守るという前提に立つと、行うべきことは2つです。 1.理解してくれる、守ってくれる人に相談する 自分の両親、兄弟、親戚、親友といった「あなた側の信頼できる人」に相談して「どうすれば攻撃から自分が守られるか」を相談しましょう。例えば、義両親が何度も自宅に押し掛けてくるようだったら、当面は実家に帰って義両親とは一切連絡を取らないことも一案です。 また、義両親からの攻撃にどのように対応するかについての案を、一緒に考えてもらうこともできます。 そして、「義両親は間違っている。攻撃されるあなたに非はない。自死を選んだのは本人であって、あなたが自死させたわけではない」と繰り返し言ってもらうことで、精神のバランスを保ち、過度に自責の念が強まることを抑止できます。 2.弁護士に相談する 信頼できる人に相談しても、それを上回る攻撃をしてくる場合や、裁判沙汰になった場合はまずは弁護士の法律相談を利用しましょう。東京の例を挙げると、東京第二弁護士会が30分5,000円で法律相談を行っています。他の地域でも、30分5,000円前後が相場になります。 どうするば法的に自分が守られるか、どのような対策が取り得るかといった相談をすることができるのと、訴えられてしまった場合にこちら側につける弁護士探しにも役立ちます。 あなたは悪くない。自死を選んだのは本人 繰り返しになりますが、配偶者が自死を選んでしまった場合、残された配偶者が義両親などの配偶者側の親族に責められるのは間違っています。 なぜなら、自死を選んだのは本人だからです。配偶者が選ばせたわけではありません。 よって、配偶者側からの親族に責められている夫、妻がいるとしたら、「攻撃されても仕方ない」のではなく、「自分は理不尽な攻撃を受けている」という認識を持ちましょう。 自分自身を守ること、そのために誰にサポートしてもらうか、これだけを考えてください。