自死遺族・支えるあなたを、支える
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自死された方のご遺骨について | シンパス相談室

自死遺族の方が、自死された方を見送り、その後ご遺骨をどうすべきか悩まれてしまうことがあります。 以下では、個人的な経験についても踏まえながらご説明いたします。     急いで埋葬しなくていい。自分の心に従う 自死により亡くなった方のご遺骨について悩まれている方は、似て非なる悩みをお持ちであることが多いです。 例えば、関係が良好だったご家族がが自死された場合、ご遺骨を埋葬する踏ん切りがつかない方は多くいらっしゃいます。 「埋葬してしまうと、愛する人が本当にいなくなったことを認めてしまう気がする」 そうおっしゃった相談者の方もいらっしゃいます。 また、家族の間でご遺骨の埋葬を早く進めたい方、逆にまだ埋葬したくない方で意見が割れることもあります。   当相談室では、自死遺族となられたご家族の全員が「埋葬してもよい」という心境になるまで待った方がよいとお伝えしています。 一度埋葬してしまったら、その後再度埋葬しなおすことはかなりの労力がかかりますし、埋葬方法(例えば海洋散骨など)によっては埋葬しなおすことが不可能となります。   先祖代々のお墓があれば、そこに入れるのがよいのか、または故人の性格や希望などを考慮したうえで別な埋葬を考えるべきなのか。 こうしたことに冷静に向き合える自死遺族の方は少ないでしょう。愛する人の自死による感情の荒波の中にいて、埋葬のことまで考えを向けられない方も多いのです。 葬儀を終えたから、49日が過ぎたから、1年が経過したから、というように何かの節目で「早く埋葬したほうがよい」という圧力が、別な自死遺族からかかることもあります。 しかし、一般的な区切りと、それぞれの人の心の区切りのタイミングは必ずしも一致しません。   世間の尺度に無理に合わせることはありません。急ぐこともありません。本当にもう埋葬してもよいというタイミングになるまで、お手元にご遺骨を置いて置かれるのがよいのです。 ご遺骨に毎日語り掛けることで、愛する人の死を受け入れたという方もいらっしゃいます。 また、自分が亡くなるまで生涯ご遺骨を手元に置いておかれる方もいます。   どう埋葬したいのか、したくないのか。 一度決断してしまうと、取り返しがつかないことです。 よって、他の誰かの言うことに従うのではなく、自分の心に従いましょう。     手元に置いて置けないが埋葬したくない場合 もし、手元にご遺骨は置いて置けないが、埋葬したくないという方は、ご遺骨の一時預かりサービスを利用するのがよいでしょう。 墓苑などが、安価な費用でご遺骨を預かってくれます。 なお、このサービスの多くは、墓苑の集客活動の一環として行われることが多いですが、ご遺骨を一時的に預かってもらったからといって、その墓苑と契約をしなければならないわけではありませんのでご安心ください。 ちなみに私は、首都圏の某墓苑のサービスを利用して、非常に安価な金額で、自死で亡くなった家族の遺骨を預かってもらいました(なお、預かり期間終了後、その墓苑とは契約していません)。     ご遺骨を引き取らなくてもいい 関係が良好でなかった家族が自死した場合の話です。 どうしてもご遺骨を引き取りたくない、という方もいらっしゃいます。そうした場合は、火葬の際にご遺骨の引き取りを拒否すれば、火葬場により埋葬され、ご自身が埋葬する必要はなくなります。 ちなみに、ご遺骨の引き取り拒否は珍しいことではなくなってきています。 亡くなった方との関係が良好でなかった場合だけでなく、葬儀を簡素化したい、墓を作りたくないといった方々も率先して引き取り拒否をしています。     納得して決断を 心理的に不安定な状態で、慌ただしく事が進んでしまうと、大きな声を出す人の意見に引っ張られそうになります。 しかし、そこで「私はまだ決めたくない。待って」という勇気をぜひ持ってください。 一度埋葬してしまうと、基本的に取り返しのつきません。 そうなる前に、声をあげてください。   どんな決断であれ、納得した決断をされることをお祈りしています。

自死された方の遺骨について | シンパス相談室

自死遺族の話を聞くときは客観的、俯瞰的になりすぎない | シンパス相談室

「客観的に物事を見る」「俯瞰的に考える」という言葉は、一般的にはよい意味で使われます。 しかし、自死遺族の話を聞く観点に立つと、諸刃の剣となるので注意が必要です。 自死遺族を支える人が、自死遺族の話を聞く際に注意頂きたいポイントです。     話を聞く相手の立場にのみ立つ 仕事の会議の様子を思い浮かべてください。 ある人が「A」という意見を言い、別な人が「B」という意見を、そしてまた別な人が「C」という意見を言ったとします。 こうした場合、会議でよく見られる光景は、出席者がA, B, C という3つの意見を比較検討し、分析やリスクを織り込んだ上で、一つの落としどころに集約していくことです。 こうした進め方は、ビジネスにおいてはよくある、客観的で俯瞰的な物事の考え方、決断の下し方です。   しかし、自死遺族と対峙するときは、全く違います。 今まさに自分が話を聞く方の立場にのみ立って、意見を聞くべきだと私は思います。 話を聞く方の苦しみ、悲しみ、後悔、怒りといった感情を、できるだけそのままで理解して感じるには、他の人の立場に立ったり、他の人の感情を再現しすぎてはいけないと思うためです。   例えば、自死した方の配偶者の方の話を聞いている際、配偶者の方と対立している義理の両親(自死した方の実の両親)がいたとします。 こうした場合、配偶者の方の立場に立ち続けないと、他の人の立場や苦しみなどにも理解が行き過ぎてしまい、話す内容がぶれてしまいます。 自死遺族同士で対立して辛い、苦しいと言っている方に、「対立している相手も同じように辛い、苦しいですよ」と返答することは、何の救いにもなりません。 しかし、話を聞く人の立場に立ち続けないと、周囲の人の感情にも共感してしまい、ついつい発言が右往左往してしまいます。     「主観的」になる もし、「客観的、俯瞰的なアドバイスが欲しい」「相手がある物事を解決したい」といった相談であれば、様々な人の立場に立ち、客観的、俯瞰的なアドバイスをすべきでしょう。 しかし、感情の荒波の中でいて辛い思いをしている方に、客観的、俯瞰的なアドバイスは役に立ちません。   相手の立場に立ち、相手と同じ思いを感じることが、自死遺族と向き合う第一歩です。 バランス感覚は不要です。まずは。相手になり切って徹底的に「主観的に」なりましょう。 「私の立場で理解してくれている」「私の側に立ってくれている」ということが、信頼の積み重ねになり、話すことによる価値が高まると感じます。   客観的な意見が未来永劫不要になるわけではありません。 しかし、客観的、俯瞰的な意見が必要になるのは、多くの場合相当先のことです。 それまでは相手の立場にのみ立ち続けましょう。

話を聞くときは客観的、俯瞰的になりすぎない

自死した人に対する怒りがあるなら、我慢せず出すべき | シンパス相談室

自死遺族は、悲しみと後悔だけに打ちひしがれているわけではありません。自分、または自分たちを残して自死したことに関して強い怒りを感じることもあります。 今回は怒りがテーマです。     自死遺族はなぜ自死した人に怒るのか 家族や近親者が亡くなった際に、怒りが表出するとはどういうことなのでしょうか。 これはいくつかの原因に分けられると思います。   1.精神的・肉体的な辛さ 「愛する人が自死」した場合であっても、「愛する人でない近親者が自死」した場合であっても、自死によって大きく感情が動きます。 これまで行えていたことが行えなくなったり、夜眠れなくなったり、精神的に強い圧迫を感じたり、体調不良が続いたり、といったことが起こります。 「自死するのは一瞬だが、なぜ自分は精神的、肉体的にこれほど長期間、辛い目に遭わされるのか」と思っても不思議はありません。   2.経済的な困難 例えば、働きに出ている旦那さんが自死して、専業主婦と子供が残されたとしましょう。 旦那さんの自死によって、専業主婦の奥さんと、子供の人生は大きな変化を余儀なくされます。 特に、実家を頼れない場合、奥さんは働きに出なければならないが、旦那さんが稼いでいただけの収入を得ることは難しいことが多いです。 そうなると、子供の進学といった進路にも大きな影響を及ぼします。 諦めることも多くなるでしょう。 さらに、家賃が払えなくなり今住んでいる家や地域から離れなければならないこともあるでしょう。 「精神的、肉体的に辛いだけでなく、なぜ経済的にも追い込むようなことをしてくれたのか」と怒りを覚えることは、ある意味当然といってよいかもしれません。   3.不当な攻撃による被害 夫が亡くなった場合は、残された妻に対する夫の両親からの攻撃で、 逆に妻が亡くなった場合は、残された夫に対する妻の両親からの攻撃が分かりやすい例です。 「愛する息子(娘)が自死を選んだのは、配偶者であるあなたのせいだ」と攻撃してきます。 精神的、肉体的、または経済的に疲弊している人に対して、さらなる圧迫を加えてくるのです。 単に電話で攻撃してくるだけならまだしも、家に押し掛けてきたり、訴えるぞと脅したり、遺産をよこせと圧力をかけてくるなど、ただでさえしんどい状況をさらにしんどくします。 「なぜ、私を思いやる遺書を残すなどして、私を義理の両親から守ってくれなかったのか」という強い怒りを感じても不思議ではありません。     自死遺族の怒りを許容しない人と触れ合わない こうした怒りに対して、「亡くなった人に対してそういう感情を持つこと自体間違っている」「死人に鞭を打つようなものだ」「怒りを収めてあげて」というように言ってくる人がいます。 これは、一見正論のようにも見えますが、自死遺族に対して「怒りを我慢しろ」「感情を押し込めろ」「怒りを出すな」といっていることです。 ただでさえ、はち切れそうな感情の人に対して、建前上の正論、倫理を並べて、さらに我慢をしろというわけです。 この裏には、「怒りを出すのはよくない」といった建前に加えて、「こうした怒りを出されても自分はどう対処していいか分からない」「面倒だから対処したくない」「真剣に向き合うと時間もエネルギーが取られて大変そう」という思いが隠れています。   平時においては、「怒ることはよくない」というのは倫理的かもしれません。 しかし、火事場において「怒りを出さないと生きていられない」人に対して、「怒ることはよくない」ということは何の救いにもなっていません。 むしろ、「この人も一般的なことを言って逃げるだけで、私の感情に向き合ってくれないのか」と失望を深めるだけです。 火事場において平時の倫理を問う人は、本当にその人のことを考えていない、本当に意味で倫理的な人ではないのです。 こうした人たちと触れ合うことは、結果として我慢を強要するよう仕向けられるだけなので、精神をすり減らします。 もし身の回りに、我慢を強要する人がいたら、接触を減らしたほうがよいでしょう。     怒りを出すことは大切 自死した人に対して怒りがあるなら、ちゃんと怒りを出す場を作りましょう。 おそらく、身を焼き尽くすのではないか、というくらいの怒りがあるはずです。 怒りを聞いてくれる親族、友人、カウンセラーに「自分はなぜ怒っているか」を口に出して話しましょう。 そして、聞く方は「平時の倫理」を問うのではなく、「怒りを受けとめて、どれほど深い怒りなのか、自分の中で感情を再現」してみましょう。 そして「あなたがどれだけ辛い思いをしているか」を共感とともに言葉で伝えましょう。   自分が自死遺族となって、最後に残る感情が「怒り」だった、という人も少なくありません。 しかし、「怒るなんておかしい」「怒りを自分で消化しないと」と、内なる感情を否定すると、自分で自分を追い込むことにつながります。 怒ってもいいのです。怒りをちゃんと出して、聞いてもらいましょう。 それが、身を焼き尽くす怒りを乗り越える第一歩です。

自死した人に対する怒りがあるなら、抑えなくていい

愛する人の自死に「ふたをする」ということ | シンパス相談室

愛する人の自死に向き合うことは辛すぎる。よって、「心にふたをして過ごす」多くいます。 今回は、心にふたをすることの意味について考えてみたいと思います。   愛する人の自死にふたをするとは 愛する人が突然自死でいなくなってしまった。人生において最大の悲しみの一つであるこの瞬間に、多くの人は「何故自死してしまったのか」「どうすれば防げたのか」「自分の何が悪かったのだろうか」「どれだけ苦しかったのだろうか」など、自死した愛する人について、自分との関係性について、自死の状況について深く思いを馳せます。 しかし、自死に関して別の向き合い方があります。それは、「心にふたをして過ごす」ことです。 1.辛すぎる 自死に関してふたをする理由の一つは「辛すぎる」からです。 愛する人が突然いなくなったことの悲しみ、後悔、怒りといった感情をそのまま受け止めること、そして心を掘り下げていく作業を行うには精神的に耐えられない。だから、今は「心にふたをする」ということです。 2.他に守るべきものがある 子供だったり、経営する会社だったり、自身のキャリアだったりなど、「今後の人生を考えると、今は別なことを守らねばならない」という状況はあります。 特に、配偶者を亡くした夫や妻は、収入を得つつ残された子供を育てていかねばなりません。 そうなると、「自死の悲しみは後回しにして、今置かれた状況を何とかしないと」と「自死に向き合うことを後回しにする」ことはよくあります。     自死について考えることを後回しにして、時間が経過しても、悲しみや辛さがなくなるわけではない 強い感情で長い時間経過すると、感情は穏やかなものに変化します。 しかしそれは、「ある一定期間、長い時間を取って、自死について自分の感情に向き合って辛い思いをそのまま受け止めて苦しんだ」後の話です。 「自死と向き合うことを、諸事情から後回し」にした場合、愛する人の自死に関する感情は穏やかにはなりません。 例えば、何十年後になって自死に関してのふたを少し開けただけで、自死が起こった当時と同じだけの質量の感情が湧き出てきます。   私が尊敬するミュージシャンに、ロックバンド「X Japan」のリーダー、Yoshikiさんがいます。 Yoshikiさんは11歳の時に父親を自死で亡くしています。 Yoshikiさんの自伝によると、葬儀の後からは家族は何もなかったように過ごすことになり、自死について語られることがなかったとあります。 このような状況下、つまり自死について正面から向き合える状況がなかったため、Yoshikiさんは、自死によって生まれた強い感情を音楽に向けることで「生き延びた」のだと思います。 しかし、父の自死に向き合うことを状況的に許されなかったYoshikiさんは、50歳を過ぎた今でも、インタビューで父親の自死について語る時に涙を流しています。 Yoshikiさんの中には、お父さんが亡くなったときの強い感情がそのまま心の中にあるのではないかと思います。 11歳の少年が、父の自死について語る場がなかった、そしてその強い感情を別な形で発散した結果、X Japanの音楽が生まれました。しかし、幼いYoshikiさんの心境を思うと、なんと悲しく辛いことだろうと思います。     後回しにしてもいい。でもいつかは向き合う時が来る もし、自死に対する悲しみや怒りにそのまま向き合うことができる、同じ立場の家族と語り合えることができる(その余裕がある)のであれば、ぜひそうするべきです。 しかし、状況がそれを許さない場合は、後回しにしてもよいのだと私は思います。 ただ、愛する人の自死について深く思いをはせること、強い感情と向き合うことは永遠に避けられるわけではないのもまた事実です。 永遠に向き合わないようにすると、いつまでも強い感情をふたをしている状態が続くこととなり、何かの拍子で感情が噴出する、つまり感情のコントロールが難しくなります。 多くの人にとって、感情をうまくコントロールしにくいのは、大変生きにくいことです。 よって、「今は向き合わない」と決めたとしても、「いつかは向き合う」という自負を持って日々を過ごしてはいかがでしょうか。   自死に関して向き合うことは辛く悲しく怒りたくなることですが、「向き合わない」よりも「向き合う」ことが不幸ではない、と私は信じています。 向き合うからこそ得られるものもたくさんあるのです。

愛する人の自死に向き合うことを後回しにすることの功罪

自死遺族を支える人は話泥棒せずに傾聴する | シンパス相談室

自死遺族になった人を支えようとした方、特にこれまで辛く困難な経験を乗り越えてきた方にありがちなのが「話泥棒」です。 そして話泥棒の対局にあるのが「傾聴」です。 以下で見ていきましょう。   話題を自分の話に関連付けて長々と話してしまう=話泥棒 例えば、以下のような場面を思い浮かべてみてください。   Aさんは30代で、少し前に家族が自死し、自死遺族となった。 Bさんは現在50代で、これまで色々な苦難を乗り越えてきた人。Aさんの先輩格でとても思いやりが深い人。 Aさんは辛さを聞いてもらおうと思い、Bさんの所に行き話を切り出す。。。 が、Aさんが何か話をすると、Bさんは「確かにそうよね。私も30代のころこういうことがあって、、、そのときこう考えて、、、おかげで何とか乗り切っていまがある」というように、Aさんが何かを話すたびに、Bさんは自分の経験や考えと結びつけて、ひたすら話してしまう。 話が終わった後、Bさんは「長時間いい話をたくさんできた。Aさんもさぞかし喜んでくれただろう」と思うが、Aさんは「Bさんは自分の話をしたかっただけで、私の話をあまり聞いてもらった感じがしない」と思ってしまう。   これが話泥棒です。 前提としてですが、話泥棒をする人の多くは悪い人ではありません。上位のBさんの例でも、Bさんは純粋な善意から話をしています。 しかし、話泥棒の人の多くは、自分が話すことが好きで、多くの人との会話の多くで「相手の話を聞く」よりも「自分から話す」量の方が圧倒的に多いです。 そうしたコミュニケーション方法が常となっているため、自死遺族に対しても話しすぎてしまいます。 そして、話泥棒の人の多くは、自分が話泥棒をしているという自覚はありません。   自死遺族についてある程度理解がある人は、「自死遺族の話を傾聴する」ことの重要性について理解しています。 しかし、自死遺族についての理解がない人は、「善意で」話泥棒をしてしまい、傾聴してくれないのです。     話すことより傾聴が重要 いくら過去の自身の経験や乗り越え方、助言や励ましなどを話したところで、傾聴がなければあまり意味がありません。 自死遺族は、大変に辛い自分の思いを、自分の言葉で紡ぎ出そうとしています。そして支える側は、相手になり切ってその言葉の重さ、裏にある複雑な感情を「心で感じ」ます。 これが傾聴です。 傾聴に関しては、厚生労働省のサイトが参考になります。 話を「聴く」~積極的傾聴とは~   厚生労働省のサイトでは、傾聴について以下の3点が記載されています。 1.共感的理解 (empathy, empathic understanding) 相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとする。 2.無条件の肯定的関心 (unconditional positive regard) 相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。相手の話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。其のことによって、話し手は安心して話ができる。 3.自己一致 (congruence) 聴き手が相手に対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。 この中で最も大切なのは、1の共感的理解です。 というのは、私たちは毎日、会話や出来事を「自分の立場で、自分の気持ちで理解」しています。 このため、何かの会話をしたり出来事に遭遇すると、自分目線で理解し、評価してしまいます。 上記のBさんの場合は、「大変に辛い物事を乗り越えてきた自分の経験からすると、自死遺族になることはそこまで大変ではない」という評価が入ってしまっていたり、「これだけ辛いのだから経験豊富な私の話が役に立つに違いない」という思い込みだったりします。 相手の立場に立って、相手の気持ちに共感することは、ある程度練習しないと難しいです。 そして、多くの人はこうした練習をしていないので、傾聴ができていないのです。     うまく話すことは重要ではない 自死遺族を支える前提として「うまく話すこと」は重要ではないです。 例えば傾聴した結果、出てきた言葉が「お辛いですよね」の一言しかないかもしれません。 しかし、傾聴して相手になり切って、感情を心で再現して出てきたのが、たった一言であったとしても、きちんと傾聴できていれば伝わります。 話すことよりも「相手の立場で、相手と同じように感情を動かして聞くこと」が大切です。   以前執筆した、「自死遺族に対する「アドバイス」に価値はない」の記事でも書いた通り、アドバイスや助言は大して意味はありません。 同時に、支える人の自分語りや経験談も大して役に立ちません。   ついつい話泥棒してしまいがちな人は、上記の傾聴の3原則を頭に入れてから自死遺族と相対してください。

自死遺族を支える人は話泥棒をしない

自死遺族を支える家族は、自身が燃え尽きないよう注意する | シンパス相談室

自死遺族となり最も大きな衝撃を受けた方は、とても大変です。多くの人にとっては、人生で最も大きな苦しみを共に生きなければならないためです。 そして、そうした自死遺族を支える家族もまた、大変です。   「支える」という言葉の裏側 辛い苦しみの中にいる家族を支える。 言葉で言うのは簡単ですが、実際に本気で取り組もうとすると非常に大変なことです。 よく、自死遺族を支える家族は、事情を知る親戚や友人などから「あなたがしっかり支えてあげないと」などと言われます。 しかし、「しっかり支えないと」という言葉を言う人たちは、「支える」とはどのようなものかについて、理解がありません。 生活リズムの乱れを理解したうえで、最低限のリズムを整えるようにする 食生活の乱れを理解した上で、最低限の栄養を取らせるようにする 自死遺族となった苦しみと感情の激動について、ひたすら傾聴し理解を示す 時折やってくるフラッシュバックの際に、精神的に安心するように一緒にいてあげる 悪夢にうなされる家族を励ます 昼夜逆転に付き合う 「あなたがしっかりしていれば自死は起こらなかった」といった攻撃に耐える 「もう生きていたくない」という言葉を発するたびに、生きる意味と愛を伝える 状態があまりにひどくなったら、カウンセラーや医師に相談しにいく 気乗りしない当人を、カウンセラーや医師に連れていく 列挙すると、まだまだありそうです。 支える、というと一言ですが、この言葉はとてつもない忍耐力と愛情により裏付けられているのです。 そして、自死遺族となった後の感情の動きは、平時とは全く異なります。 いくら平時に忍耐力と愛情にあふれている人であったとしても、自死遺族となった家族の乱高下する感情に常に向き合うことは非常にしんどいのです。   支える側も燃え尽きてしまいがち 最初に「懸命に支えよう」と思っていた人であっても、真面目に一生懸命支えようとすればするほど、精神的な逃げ道がなくなります。 近親者の自死により最も打ちひしがれている家族を支えようとすると、常に一緒にいなければと思ってしまいがちなためです。 常に一緒にいる、ということは、仕事などのやむを得ない外出を除き、常に一緒にいることを意味します。 つまり、常時自死遺族を支える役回りを背負い込み、自分の活動や趣味ができなくなってしまいます。 常時戦時体制のような状況で、精神を張り詰めて過ごし、支えねばと思うほどに、精神は逃げ場を失い、燃え尽き始めてしまいます。 何もしたくなくなる、自分の感情のアップダウンが激しくなる、過食や拒食といった症状が現れる、眠れなくなる、自分も悪夢を見るようになる、といった具合です。 この状態が進んでいくと、支える側が燃え尽きて、支えられなくなるだけでなく、治療が必要な状態になってしまいます。   ちなみに、支える側が燃え尽きてしまうのは非常にレアなケースではありません。 真面目に向き合い続ける、支え続ける家族であればあるほど、起こり得るケースです。   支える側は人生を楽しむことを忘れない 自死遺族で強い苦しみの中にいる家族がいたとしても、そうした家族を支え続けるには、支える側に余裕がなければいけません。 その余裕は、「自死遺族を支えること」以外の活動やコミュニケーションから生まれます。 例えば、趣味であったり、友人との食事であったり、一人になる時間を持って読書したりといった活動です。 こうした活動は、「自分は『自死遺族を支える家族』以外の人生があり、人生は楽しいし生きる意味がある」と改めて思えるために必要なものです。 いくら家族が苦しみの中にいるからといって、自分も同じレベルの苦しみに入ってしまっては、支える活力は生まれません。   家族を真剣に支えることと、自分の人生を楽しむことは矛盾しません。 むしろ、自分の人生を生きているからこそ、人を支えることができます。 苦しみの中にいる家族がいるのに、自分だけ楽しむなんて、、、と罪悪感を感じてしまうかもしれませんが、適度に息抜きをしてください。 適度に息抜きをするほうが、置かれた状況に飲み込まれず、状況を俯瞰することができます。 状況を俯瞰できるからこそ、自分が果たす役割だったり、求められる振る舞いだったり、自分の精神力の限界などがちゃんと見えてきます。 これにより初めて、長く安定して支えることができるようになります。

自死遺族を支える家族が燃え尽きないようにする

自死遺族分かち合いの会のメリットとデメリット | シンパス相談室

自死遺族となった悲しみ、苦しみを、同じ体験をした人と共有したい。こうした思いに沿った場が「分かち合いの会」となります。 各地方自治体や地元のNPOなどが、無料もしくは非常に低額な費用で定期的に開催していますが、この分かち合いの会のメリットとデメリットについてまとめてみました。 ちなみに、前提としてですが「分かち合いの会」を運営主宰している方々のほとんどは、自身が自死遺族だったり、自死遺族を支えたいという強い思いを持つ素晴らしい方々です。私は、分かち合いの会を主宰運営する方々を尊敬しています。ただ、会の素晴らしさとは別に、自死遺族のメンタル的に気を付けなければいけない部分を知って欲しいと思っています。   分かち合いの会のメリット 1.話してもよい場である 自死遺族となった方の多くは、自死遺族としての辛さ、苦しさ、悲しみについて、家族や心を許した一部の人、カウンセラーなどにしか話せていない方が大多数です。 そして、これらの体験について話せる人は基本的に増えていきません。よって、同じ人たちに、同じような話を何度もしてしまうことになります。 話を聞く側は、できるだけ支えたいと思って一生懸命聞きますが、それでも疲れてしまうこともあります。 打ち明けられる話があまりに重いので、受け止めきれず離れてしまう友達もいるでしょう。 しかし、分かち合いの会は「話してもよい場」です。自分がどれだけ悲しく、辛く、毎日を乗り越えるのが大変かについて話しても大丈夫です。 もちろん、一人の人があまりに長く話をすると、全体のバランスが悪くないので、時々話の「交通整理」があります。とはいえ、常識の範囲内であれば途中で遮られることもありません。   2.他の自死遺族の経験を聞く場である 自死遺族の多くは、苦しみから抜けられず周りに迷惑をかけてしまっていることに罪悪感を感じている人が多いです。 「他の家族は何とか毎日を回しているのに、私だけ苦しんで何もできず申し訳ない」といった感情です。 そして「苦しみに苛まれている自分はおかしいのではないだろうか」「抜けられない自分はダメではないだろうか」とも思ってしまいがちです。 しかし、分かち合いの場では、自分と同じくらいの深い苦しみが故に日常生活に支障をきたしている人の話も聞くことができます。 他の自死遺族の話を客観的に聞くことで、「そうか、苦しいのは自分だけでなく、他のみんなも苦しいのか」と思え、苦しみの中に居続けている自分がおかしいわけではないと確信できます。   3.安全でしがらみのない人たちのいる場である これまで、または現在所属している色々なコミュニティがあるかと思います。例えば、「高校」「大学」「卒業生コミュニティ」「仕事」「趣味サークル」「地域の活動」などです。 こうしたコミュニティに所属している友人知人は、自死遺族について理解があるかどうかも知りませんし、自死遺族となった自分のことを言いふらす可能性があります。 そして、自死遺族としての苦しみについて聞いてもらう準備ができていない人がほとんどです。 (理解のない人は、「今は大変だけど、乗り越えれば何とかある。頑張って毎日を過ごしてね」ということを平気で言ってしまいます) つまり、これまで所属してきたコミュニティの人たちに、自死遺族としての苦しみを打ち明けることはとても危険なことです。 また、これまで自分がコミュニティの中で果たしてきた役割や人間関係の中に、自死遺族の感情という極めてプライベートなものを持ち込みたくない人も多いでしょう。   分かち合いの会は、自分がこれまで属してきたコミュニティとは完全に切り離された全く別で、安全な場です。 自死遺族という辛い共通体験がある、という一点で集まってきた人たちの場です。 苦しみや悲しみの感じ方、表出のさせ方は人により違いますが、同じ苦しみや悲しみを持っているからこそ、分かち合いの場に来ています。   また、どの分かち合いの会でも、「この場で聞いたことは、決して口外しないでください」と必ず言われます。 本当に話を漏らさないかは、分かち合いの場に出席した人の良心に委ねられますが、自分の苦しみや悲しみの話も相手は聞いています。参加した人みんなが、全員の苦しみや悲しみと言った秘密を聞いているわけですので、秘密が守られる可能性は高い、つまり安全な場である言えます。   4.リアルに人と人が集まる場である 人と人が物理的に同じ場所に集まって、直接顔を向き合って話をする。 こうしたリアルな場であることは大きな価値があります。 苦しみの中にいる自死遺族の方には、普段は家族以外の顔を見ることもない人も多くいます。 こうした人が、家族以外の人と顔を突き合わせて話を聞いて、表情を見て感情を動かし、そして自分から話して感情を動かす。 電話やネットを超えた価値があります。   5.「分かち合いに参加すること」自体が、行動する理由になる 自死遺族となり、毎日をやり過ごすことが辛いと、何かをしなければならないが、何もしたくないと思われる方が多いです。 こうした方は、家族と同居していると、家族が日常生活をサポートしてくれるため、肉体的、精神的な活動をする理由がなくなっていくこともあります(例:食事と最低限の活動以外は引きこもってしまう)。 しかし、分かち合いに参加することは、身支度を整えて、時間通りに家を出て、交通機関に乗って外出するという大きな動機付けになります。 外出すら難しくなっている自死遺族の方にとっては、「少なくとも毎月の分かち合いの会だけは外出しよう」というように、小さな活動の目標にもなります。   分かち合いの会のデメリット 分かち合いの会には多くのメリットがありますが、たった1つだけデメリットがあります。 1.他の人と比較して落ち込んでしまう 例えば、家族が自死して2年間活動的になれない人が分かち合いの場に来たとしましょう。 そして、同じ場にいる人が「1年間存分に苦しみましたが、今は日常の活動ができるようになりました」と発言した場合、「他の人は1年で日常が回せているのに、自分は2年たっても何もできないなんて、自分が劣っているのではないか。頑張りが足りないのではないか」と、自分を責めてしまうことがあります。 真面目で一生懸命な方ほど、自分に厳しいのでそのように思ってしまいがちです。 相対的に自分は劣っていると自分を責めてしまうと、せっかく分かち合いの会に来れるほどにまで溜めてきたエネルギーが失われることもあります。   どんな話を聞いても自分を責めず比較しない 分かち合いの会自体は、とても意義深い活動です。ただ、相対的に物事を見てしまい自分を責めてしまう危険があります。 そうならないためには、「回復の仕方、回復にかかる時間は人それぞれだ」という思いを持ち、比較しないことです。 大切な人を失ったという経験は同じでも、これまでの人生全てが同じであるはずはありません。 それぞれの生い立ち、人間関係のもとに人生は作られています。よって、比較などできるはずがありません。 よって、「自分は自分。焦ることなど何もない」という平常心を忘れないようにしましょう。

自死遺族分かち合いの会

自死遺族を支える家族は命日反応にどう向き合うか | シンパス相談室

私事になりますが、自死した家族の何度目かになる命日が過ぎました。 今回は、命日反応に対する家族の対応のポイントについてお伝えします。   命日が近づくにつれ感情の動きが大きくなる 今回は、自死遺族となり強い衝撃を受けている家族がいて、その家族を支える側の視点でお伝えします。   まず、当然のことですが、自死遺族となったその日のことは強い衝撃とともに記憶されます。 これは生涯忘れることのない記憶です。関係が近ければ近いほどそうです。   しかし、時間の経過とともに、自死遺族となった日の記憶の濃度は薄まっていきます。 自死遺族となった直後は毎晩悪夢にうなされて、命日となった日のことを鮮明に思い出していた方であっても、時間の経過とともに、記憶の鮮明度合いは薄まります。 自死遺族となった方を忘れるわけでもありませんし、自死遺族となった日の出来事を忘れるわけではありません。 ただ、1年前はずいぶんと鮮明に、具体的に覚えていた記憶でも、記憶の一部はやや抽象的に、ぼんやりとしてきます。 そして時間が経つとともに、鮮明さ度合いは徐々に落ちていきます。 もちろん、記憶の鮮明さ度合いが減るとともに、苦しみが正比例して減っていくわけではありません。 ただ、自死遺族として向き合うことで、徐々に死を受け入れていき、急性の苦しさや感情の激動は減っていきます。   命日反応は、平時には抑えることができる、または抑えられるようになった感情が、再び劇的に動くタイミングです。 例えば、「3月15日」という日はこれまで何の意味も持たなかったのが、この日に愛する人や家族、近親者が自死して命日になった場合、この日は特別な意味を持ちます。 そして、毎年の命日が近づくにつれ、亡くなった方、または亡くなった日のことをより具体的に思い出そうとしたり、または特に意識せずに思い出されたりします。 普段は忘れていたようなこと、命日に起こったことの細部が頭をよぎります。   多くの自死遺族の方は、他の家族を心配させまいと、こうした感情の動きをそのまま出さずにできるだけ抑えるようにしています。 自分が突然泣いたり、怒りや悲しさをぶつけられたりしたら、他の家族は困るだろうと思うからです。 しかし、感情を完璧に抑えられる人はいません。 そして、抑えようとしても漏れ出てくる感情はあります。   まず、漏れ出てくる感情は、何気ない会話や態度の違和感といった形で表出します。 「あれ、いつもとちょっと違うな」「ちょっと怒りっぽい気がする」「一人で部屋にいる時にずいぶんと泣いていたようだ」といったものです。 そして、こうやって何とか抑えていた感情がどうにもこうにも抑えられなくなると、目の前で突然泣き出したり、怒りをぶつけられたり、嘆かれたりします。 「突然」に見えますが、実は徐々に水位が高まってきて、満ちた水が一気に放出されるように感情が出てきます。   命日が近づいてきたら特段の注意を払う 支える側の家族からすると、命日が近づくにつれ、感情のジェットコースターが再びやってきて、どう対応するのが最も家族の為になるのか困惑することもあります。 どう対応するかについて、最善の解はありませんが、できることはあります。 それは「命日が近づいてきたら、ちゃんと意識して、自死と関係する事柄、関係しない事柄についても刺激しない」ということです。   多くの自死遺族の方は、自死された家族について、自死遺族となった自分について、色々な物事や出来事と関連づけて考えてしまいがちです。 他の人から見ると、「えっ、それって何も関係ないよね」と思えるような事柄であっても、関連づけて辛い記憶として呼び起こしてしまいます。 もちろん、こうした関連づけと想起は、時間の経過とともに頻度や強度は減っていくのですが、命日が近づくと再び強さが増します。 よって、支える側としては、言動や態度に特段気を付け、表情や反応をよく見て接することが望ましいです。 無用な口論やけんかは避けましょう。口論やけんかは強い感情を想起させやすいためです。   と言っても、はれ物に触るような態度だと逆によくないので、態度は自然に、でも注意力を増して過ごしましょう。   平時に命日反応について話しておく もし、話せるようでしたら、事前に命日反応について話しておくのも良いかもしれません。 「命日が近づくにつれ、感情が大きく変化すると思うのだけど、どう接するのが一番あなたのためになるか、話せるかな」と切り出して、命日が近づいてきたら何をしてほしいか、どう接してほしいかを聞くのがよいかもしれません。 自死遺族の中には、「命日が近づいてきたら、悲しみを再び共有したい」人もいれば、「あまり触れずに過ごしたい」という人もいます。誰にでも当てはまる回答はありません。 よって、各人が何を望んでいるかを聞いておくと、よりよく対応できるかと思います。   もちろん、「悲しみを共有したい」と言っていた人が、近づくとやっぱり「あまり触れられたくない」と感情が変わるかもしれません。 「言っていた通りに対応したのに、違う」と思ってしまうかもしれませんが、もちろんそのことを責めてはいけません。 感情の大波は、実際に来てみないと自分の感情がどう動くか分からないことも多々あるためです。 本人に要望を聞けるようであれば、あらかじめ聞いたうえで準備、対応し、変化があれば即座に対応しましょう。

命日反応 自死遺族

自死遺族カウンセラーに依存しない | シンパス相談室

自死遺族の家族向けの電話相談室をやっている立場で言うのも何ですが、カウンセラーへの依存は望ましくありません。 以下で見ていきましょう。   自死遺族カウンセラーのメリットとデメリット 自死遺族の方が苦しみを口にすると、支える家族は何とか苦しみを受け止め、共有し、回復させようと試行錯誤します。 しかし家族から見て、考えていた通りに回復してくれない、支えるのが思ったよりも大変だった、支える側のストレスが大きすぎる、そんな苦しい状況に直面することもあります。いえ、そういう状況に直面するほうが普通です。 支えるのに疲れ果てた家族の一部は「カウンセラーを使おう」というアイデアを思いつきます。しかし、自死遺族向けのカウンセラーもいいことばかりではありません。メリットとデメリットの両方があります。 メリット 家族のエネルギーを消費せずに済む まず最も重要な点を上げます。自死遺族が電話でカウンセラーに相談している間、家族は苦しみを受け止めて疲労する必要がありません。家族は家族で、それぞれ自分の人生や仕事や学業、家事が待っていますので、カウンセラーの力を借りると自分の人生を回せる日が増えます。そして、自分の人生を回せる日が増えると、ストレスは減ります。これはとても良いことです。 外部の人が関与してくれる 家族が話を聞くのと、外部の人が話を聞くのでは別な効能があります。それは、家族以外の人に分かってもらった、理解してもらったという「共感してもらった感」であったり、自分だけが苦しんでいるわけではないことを改めて知る「安心感」だったりします。 お金を対価としてもらっているので、プロとして対応してくれる 家族が頑張ってサポートしても、自分の日常がどんどん削られてくると、精神的に疲弊して怒りっぽくなったり、冷静に振舞えないことがあります。また、疲れからか、うっかり言ってはいけない発言をしてしまうこともあります。カウンセラーは、お金をもらって仕事として、プロとして話を聞くので、冷静に、怒らず話を聞く人がほとんどです。 過去の相談の蓄積がある 経験豊富なカウンセラーであればあるほど、多くの自死遺族の苦しみに触れています。また、自身が自死遺族として強い苦しみを経験し、回復し、乗り越えてきた方も少なくありません。 デメリット 高額である 当相談室を例にとると、2018年4月現在で1時間6,000円 (税別)の費用を頂戴しております。この金額より安い電話相談や対面カウンセリングもあれば、高額なところもあります。ただ、共通して言えるのは、毎日電話していたら相当な金額になる、ということです。 例えば、1時間6,000円を毎日1時間電話していたら、1カ月で18万円もかかってしまいます。カウンセリングや電話相談に月18万円を出せる方はそう多くないはずです。 家族がカウンセラーに任せればいいと当事者意識をなくす 良いカウンセラーに出会った場合の話です。自死遺族の方が、カウンセラーに電話した後に元気そうにしていると、「そうか。自分たち家族よりもカウンセラーの方が優秀だから、カウンセラーに任せればいいや」と、カウンセラーに積極的に頼るように勧める家族もいます(特にお金に困っていない家族であればそうです)。良いカウンセラーから、定期的にカウンセリングを受けることは、もちろん悪いことではありませんが、カウンセラーに依存すると、一部の家族は「カウンセラーに丸投げ」してしまったり、「支える力を高めようとしなくなる」のです。家族として、支える責任を放棄してしまう場合もあります。 カウンセラーがミスリードする可能性がある カウンセラーの一部は、積極的にアドバイスして、行動や精神の変革を促す場合もあります。これがぴったりはまるとよいのですが、行動や精神の持ちようの変革よりも、傾聴が必要である場合は、逆に自死遺族が追い込まれる場合があります。   カウンセラーに依存せず、適度に使う カウンセラー自体が良い、悪いというわけではありませんが、使い過ぎは間違いなく良くありません(話せる家族が一人もいないが、お金はたくさんある、という例外を除く)。 お金の切れ目は、カウンセリングの切れ目です。いくらよいカウンセラーでも、お金が払えなくなればそこで終わりです。家族とは違います。 また、カウンセラー依存になると、支えるはずの家族が、支えるという意識を失ってしまいます。さっさと自分の生活に戻ってそちらの方に集中し、何かあれば「カウンセラーに電話したら?」と当事者意識をなくしてしまうのです。   ただ、カウンセラーを使うメリットはもちろんあります。自死遺族本人に合ったカウンセラーが関与することで、自死遺族本人だったり、支える家族の大変さを和らげることもできます。また、当相談室のように、支える側の家族のストレスを減らす、というアプローチもあります。 カウンセラーは魔法の解決策を提供してくれるものではありません。メリットとデメリットをよく理解したうえで「使う」ことが大切です。あくまでも、回復にとって一番大切なのは自死遺族とそれを支える家族であることを忘れないでください。

自死遺族に対する「アドバイス」に価値はない | シンパス相談室

自死遺族となり、大きな悲しみや苦しみの中にいる人に対峙すると、善意で「何とかしてあげないと」「回復への道を探してあげないと」「客観的な視点でアドバイスしないと」と思ってしまいがちです。 しかし、それは違うよ、という話をさせていただきます。   他人の「アドバイス」など聞きたくはない アドバイスという意味をGoogleで調べると「助言。また、忠告や勧告」とありました。助言、忠告、勧告というのは、要するに「こうしたほうがよい」「こう考えたほうがよい」というように、行動や思考の変化を促す言動です。 では、なぜ自死遺族に直面行動や変化を促す必要があると感じるのか、というと「これまでの人生で経験したことない大きな悲しみ、苦しみの中にいる」のが明らかだからです。 「苦しみが少しでも減って欲しい」「悲しみを癒すことを何かしてあげたい」と思う家族がやってしまいがちなのが、まさにアドバイスです。 行動のアドバイスはこのようなものです。 家の中にばかりいると、体調が悪くないので外に出て運動でもしたほうがよい。 食事のバランスが悪いので、しっかり食べたほうが良い。 夜はしっかり寝られるように、昼間少しでも活動したほうがよい。 何かできそうなことを毎日やったほうが良い。 そして、思考や精神に関するアドバイスはこのようなものです。 亡くなった故人は、自分の意思で旅立ったのだから、あなたの責任ではない。自分を責めるのはやめて。 亡くなった故人のためにも、しっかりしないと。 悲しんでばかりいると、精神を病むので、精神をリフレッシュしないと。 こうしたアドバイスは善意によってなされます。しかし、ほとんど全て意味のないだけではなく、有害なのです。 辛い状況にいる自死遺族からすると「そんなことは分かっている。でも、動けないから、精神を変えられないから苦しいのだ」というのが本音です。   アドバイスするのを我慢して、傾聴する 必要なのは、自死遺族の苦しみを繰り返し聞いて、その辛さを自分の中で再現して、共感することです。傾聴とも言います。 「傾聴」をGoogleで調べると「(耳を傾けて)熱心にきくこと」とあります。 そうです。必要なのは、「耳を傾けて熱心に聞くこと」が先で、「相手を救おうとする使命感から意見すること」ではないのです。 特に男性の多くは、「問題がそこにある → 問題の解決策を考える → 提案する → 試行錯誤しながら問題解決する」と、仕事のように考えてしまいがちです(論理的な問題解決を日々行っているビジネスマンほど、こうした考えに容易に陥ってしまいます)。 ただ、自死遺族の苦しみは感情からきています。論理的に問題解決できるものでもありませんし、客観的、普遍的な解決策があるわけではありません。 よって、まずはアドバイスをあきらめましょう。周囲にいる人が知恵を絞ったところで、光り輝くような解決策が出てくることはまずありません。 解決策を考える代わりに、「アドバイスしなければ」「解決策を考えなければ」という思いを取っ払って、「相手はどのように苦しいのだろうか」という思いで話を聞きましょう。 話を聞いて、その言葉からどのような苦しみや悲しみが背景にあるかを想像し、相手がこのように感じているのだろうな、という思いを再現して、口に出してみましょう。 表面に出ている言葉は、自死遺族の苦しみや悲しみの氷山の一角です。氷山の下には、もっと大きく強い感情があります。 その感情に思いを向け、感じて、そんな苦しみや悲しみの最中にある相手がどれだけ辛いかに思いをはせて共感するのです。   例外的に、アドバイスが必要な場面 自死遺族と対峙する際に、基本的にアドバイスは不要です。アドバイスが必要な状況は、以下の2つに限られます。 1.肉体的、精神的状況が平時と比べて、著しく悪化しているとき このような状況では、客観的に「普段と比べて体調が悪いみたいだから病院に行こう」「薬を飲もう」というアドバイスが必要です。ポイントは「平時と比べて著しく悪い」ということです。 普段から、むやみやたらと、病院とか薬という言葉を出すべきではありません。傾聴に疲れたから、言うことに困って病院や薬を促すのでは逆効果です。 2.自死遺族本人が「アドバイスしてほしい」と言ったとき 普段はアドバイスがほしいと言わないのに、ごくまれにアドバイスを求めてくることがあるかと思います。こうした状況では、アドバイスをしましょう。 ここで大切なのは、二段飛び、三段飛びのような、難しい行動を促すアドバイスをしないことです。 「自死遺族となる前はこうしたことができていた」と、肉体的精神的に好調だった時にできていたことを、そのまま「やってみよう」などと言わないことです。 自死遺族の方の現在の状態を見て、小さな一歩を踏み出すための「小さな行動の変化」を促すアドバイスをしましょう。

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