自死遺族でない人が、自死遺族の友人に会う時の注意点 | シンパス相談室

以前、自死遺族になってから友達に会えなくなったという記事で、自死遺族視点で何故友人と会うのが辛くなるのかについて書きました。

では、自死遺族の友人と会うときに、友人側は何を注意すればよいかについて考えてみます。

 

 

自死遺族の友人は、勇気を振り絞って来ている

多くの自死遺族は、「遺族」ではなくて「自死遺族」となったことで、自死ではない「普通の遺族」とは異なる辛く苦しい「被害」を、他の人から受けています。

例えば、他の人から何気なく死因について尋ねられたり、家族が自死であることを口にすると相手の反応が変わったり、あらぬ詮索をされたり、遠まわしに非難がましいことを言われたり、自死遺族でない「遺族」の観点から無用なアドバイスをされたり、などです。

また、自死遺族であることにより、あらゆる発言に過敏になってしまうため、相手の善意による発言を「この人は本当に善意で言っているのか、そうでないのか」と考えてしまい、善意をそのまま受け取れないという辛さもあります。

こうした辛い思いをしながらも、友人に会いに来ているということは、「この人になら会っても多分大丈夫」と思って、勇気を振り絞っているからです。友人一人に会うのでも簡単ではありませんし、決心が必要になります。

よって、もし自死遺族となった友人から連絡がきたら、「この人は辛く苦しい中で、私なら会っても大丈夫と思って連絡してきてくれた」と思いましょう。

 

 

自死遺族と会う友人がすべきこと

1.聞き役に徹し、目線・表情・身振りで共感を伝える

自死遺族が勇気を出して友人に会うことの目的は、友人の日常話を聞くためではありません。自分の辛さ、苦しさ、今何を思っているかを誰かに聞いてほしいからです。

よって、友人は話し役ではなくて、聞き役となるべきです。色々と思ったこと、質問したいことなど多くあるかもしれません。しかし、友人はある意味で「テニスの壁打ちの『壁』役」のような役割を果たすべきです。

つまり、自死遺族の友が話し出すのを穏やかに待ち、話を始めたら静かに聞きます。なお、静かに聞くと言っても無表情で、石のように固まっていても仕方ありません。

「自死遺族となったあなたの辛さ・苦しさを本当に意味で理解できないかもしれないが、寄り添いたいと思っています」という思いで、自死遺族の友に目線を合わせて、相手の感情をスポンジのように吸収し、共感していることを伝えましょう。言葉に出さなくても、ちょっとした表情の変化、目線、身振りで多くのことが伝わります。

 

2.相づちを入れる

会話の合間には適度に「相づち」をいれます。

ここは、あくまで「相づち」であるべきで、「あれこれ質問したり、自分のことを話す」のは避けるべきです。

相づちは、自死遺族の友の感情を理解・共感しようとしていれば、ちょっとした発言でも十分に伝わります。例えば、自死遺族となって辛かった話を何分も聞いて、最後に友人が「それは辛かったね」とたった一言の相づちだけしたとしても、ちゃんと聞いていれば、その一言が伝わります。

理解の深さを示そうとして、あれこれ長々話す必要はありません。

 

3.感謝する

自死遺族は、友人と会う前に「この人と会っても大丈夫かどうか」をよくよく考えて相手を選んでいます。逆に言えば、会う相手として選ばれたということは、信頼されているからです。

もし自死遺族の友を大切に思うのであれば、「大変な時に連絡してきてくれてありがとう」「会えて嬉しかった」と感謝の意を表すとよいです。

友人と会ってひとしきり辛く苦しい話をすると「自分ばかり辛く苦しい話をして、相手は不快だったのではないか」と思う自死遺族は多いです。よって「私はあなたに会えてうれしかった」と言ってくれるだけで、心の負担が軽くなります。

 

 

自死遺族と会う友人がすべきでないこと

1.自分から自死のことを聞かない

自死遺族を目の前にすると、「何を理由にして、どんな状況で亡くなったのか」など、色々と聞いてしまいたくなりがちです。これは、単に好奇心を満たすためではなく、「状況を理解した上で話を聞きたい」という思いからも聞きたくなってしまいがちです。

しかし、自分から自死についてあれこれ聞いてはいけません。自死遺族が話す内容から、理解しましょう。たとえそれが断片的で不十分な内容であって、全体像が分かりにくかったとしても、聞くべきではありません。

例えば、「『自死した理由』が分からないので、相手の言うことがいま一つよく理解できない」という状況だった場合、「自死した理由だけ教えてもらえれば、話を深く理解できそうだ」と思い、聞いてしまいたい誘惑に駆られることがあります。

しかし、「友人である自死遺族が一番言いたくないこと」が「自死した理由」であるかもしれません。何を聞いても大丈夫なのか、そうでないのかは友人側には分かりません。よって、自死については一切聞かないようにしましょう。

 

2.ため息や疲れた表情を出さない(気を抜かない)

精神的なエネルギーが落ちている場合、普段とは同じように論理的に話せなかったり、話が飛びまくってしまったり、何度も同じ話を繰り返すことがあります。

自死遺族の話を聞くことに慣れていない場合は、脈略がなく、繰り返しの話に付き合うことで、精神的なエネルギーを多く消耗します。そして、ふと気を抜いたときに「ああ、また同じ話か」と思ってため息が出たり、疲れてうんざりした表情が出てしまいます。

自死遺族は、こうしたちょっとした変化に非常に敏感です。そもそも自死遺族は、自分の辛い話をするために、友人の時間とエネルギーを取ってしまっているという後ろめたさがあります。そして、うんざりした表情やしぐさを見るたびに、「自死遺族となった自分が、友人を不快にさせてしまっている」と、自分への罪悪感を強めてしまいます。

友人も、もちろん楽ではありません。しかし、気を抜かずに頑張って話に付き合って、思ったままの感情を出すのをぐっとこらえて頂きたいのです。

もし忍耐力の限界を超えたと感じた場合は、「うんざりした態度、表情」を出してしまう前に、「ちょっと用事が入ってしまって」など、相手を傷つけない理由を作って、その場をお開きにする方がまだよいかと思います。

 

3.オーバーコミットしない。自分の能力を過信しない

「相手を助けたい。支えになりたい」と思うことと、「相手を助ける、支える」のをできることは違います。強く思ったとしても、それができるかどうか、能力があるかどうかはまた別問題です。

このジレンマに直面するのは、これまで自死遺族とは接したことのない「優しい方」です。

自死遺族の友の支えになってあげたい、という混じりっ気なしの善意で「いつでも電話してね。とことん付き合うから」などと言ってしまいます。

自死遺族の中にはこうした話を額面通り受け取ってしまって、頻繁に友人に連絡をするようになった結果、友人が耐えきれなくなり、関係が壊れてしまうことはよくあります。

大切なのは、「思うこと」と「できること」を区別して、「できないこと」「できるかどうか分からないこと」をコミットしないことです。

気軽に「いつでも電話してね」などと言ってしまうと、最終的に両者とも苦しんで悲しい結末になります。

 

 

思いを口にするだけでも心は軽くなると信じる

話すことは、それだけでも大きな意味があります

話を聴く側からすると、後ろ向きな話で、何も前進していないような話だったり、話せば話すほど苦しくなるような内容だったとしてもです。

その場では、話す自死遺族は本当に辛そうだったとしても、翌日になってみて「話したことで幾分か心が軽くなった」ということもあります。

よって、その場の話が辛く悲しく、出口がない闇にいるような話であっても、共感し、嫌な感情を表出させず、忍耐強く付き合うのが友人の価値です。

友人としては楽ではありませんが、「この人なら大丈夫」と見込まれているからこそ、自死遺族は会う気になったのです。友としての一番の腕の見せ所だと思って、ぜひ踏ん張って頂ければと思います。

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