突然ですが、ご自身の人生を振り返ってみてください。それぞれのタイミングで一番仲良しだった人を頭に浮かべてみてください。
- 小学校のとき
- 中学校のとき
- 高校のとき
- 大学のとき
- 社会人になったとき
- 30代になったとき、、、
多くの人の場合は、「一番仲良しの友達」はどんどん変わってきているのではないでしょうか。実は、これと同じことが自死遺族にも起こります。
否認から抑うつまでは「とにかく話を聞いてくれ共感してくれる人」
一般的に、愛する人の死を受け入れるためのプロセスは以下の5ステップと言われています。
- 否認
- 愛する人が亡くなったはずはない。生きているはずだ。亡くなったと認められない、というように「死を受け入れない段階」。
- 怒り
- 何故私を残して旅立ってしまったのか。何故私は止められなかったのか。何故周囲は気づかなかったのか、と「自死した方、自分、周囲に強い怒りを感じる段階」。
- 取引
- 自分もあの世に旅立ってもいいので会いたい、**を諦めるので戻ってきてほしい、と「何かと引き換えに愛する人を戻してほしいと感じる段階」
- 抑うつ
- 思い悩んだが愛する人は帰ってこないことに苦しむ、辛すぎて日々の生活に支障をきたす、というように「愛する人が戻ってこない現実に強く落ち込み絶望する段階」
- 受容
- 愛する人が戻ってこない現実を受け入れ、それでも自分の人生を歩むことを決意し受け入れる段階。
ちなみに、この5ステップが1ステップずつ、規則正しく順番にやってくる自死遺族は多くありません。例えば、「否認と怒りが一緒に来る」「否認と怒りと取引が一緒に来る」といった具合です。よって、1ステップずつやってこないからといって心配する必要もありません。
さて、筆者の経験では、「否認~抑うつ」と「受容」では、友人・話し相手・カウンセラー、そして家族に求める能力は異なります。
まず「否認~抑うつ」の段階では、「とにかく話をよく聞いてくれ、反論や否定せず、辛さを共感してくれる」のが大切な能力です。辛く苦しい精神状態では、自分の感情を吐露することさえ大きな壁のように感じる人は少なくありません。こうした人に対して、「**をしたほうがよい」「そういう考えはよくない」とアドバイスや『助言』をすることは望ましくありません。必要なのは、相手の言葉をスポンジのように吸収し、それを自分の中で再現して相手に寄り添うことです。これこそが必要な能力です。
参考記事
・自死遺族に対する「アドバイス」に価値はない
受容の段階では「よい影響・エネルギーをくれる人」
「否認~抑うつ」を経て、「受容」の段階にいると感じる人は、自分を支えてくれる相手に求める内容が変わってきます。
受容の段階では、「愛する人がいなくなったことはとても悲しくて辛い」という感情と、「活動的な自分に戻りたい」という感情が併存しかかっています。
- 「併存できている」のではなく、「併存に向かっているが、完璧に併存できているわけではない」という意味です。ここを読み間違ってはいけません。
この段階で支える側として必要なのは、「悲しくて辛い」という感情を理解し、そのうえで「前向きになれる影響・エネルギーを渡す」ことです。
- 回復してきたように見えると、急に「**したほうがよい」とアドバイスしてくる人がいますが、そういうアクションは単なる押し付けで逆効果です。「**したほうがよい」「**すべき」という言葉を出さずに、「よい影響を与えたり、活動するエネルギーを与えられる」人が必要です。
「よい影響を与えたり、活動するエネルギーを与えられる」というのは、とても漠然とした言葉ですが、何をもって「よい影響」「エネルギー」とするかは大きく異なるため、ひとまとめにお伝えできないのです。
例えば、「同じ自死遺族で、辛い状況から立ち直った方と話してエネルギーをもらいたい」という人もいれば、「一緒にできる行動を、さりげなく誘ってほしい」という人もいます。「辛さについて話すのではなく、以前していたような雑談を友人とすることでエネルギーが出る」「昔からの趣味に徐々に戻っていく後押しがほしい」という方もいます。千差万別なのです。
そして、ここで理解しておきたいのは、「否認~抑うつ」のステップで必要な資質と、「受容」で必要な資質は違うこと、そしてそれは悪いことではないことです。
例えば、「否認~抑うつ」を支えてきた人が、「受容」のステップではうまく役割を果たせないことがあります。これは、必要となる資質の属性が異なるためです。よって、これまで長らく支えてきた方が「受容の段階でサポートできない自分はだめだ」などと落ち込む必要はありませんし、お門違いの属性を身につけようと努力することもありません(そもそも努力して身につけられるものでもありません)。
そして、「否認~抑うつ」の間、何も助けにならなかった人、積極的にサポート役に回ってくれなかったような人が急に「役立つ」ようなこともあるのです。「長らくご主人が奥様を支えてきたが、奥様が回復するに従って、ここ数年ほとんど会っていなかった友人の役割が大きなものになってきた」といった具合です。
長らく支えてきた方からすると、起こっている変化について、そして新たに助けになってくれる人が「本当に助けになっているかどうか」は、行動や言動を見ながらある程度見抜けるはずです。間違った方向に引っ張られていないか(カルト宗教の勧誘など)どうかを確認しながらも、支える側としても変化を受け入れ、そしてその変化を喜べる日が来ると信じて頂ければと願います。