家族が自死で亡くなった場合、自宅前にはパトカーや救急車がサイレンを鳴らして来るため、「何かが起こった」ことはすぐに近所には知れ渡ります(特に地方や戸建ての家であればそうです)。
自死直後の対応や葬儀などが終わってから、「そういえば、何があったの?」と近所の方や他人から聞かれた場合、どう答えるのがよいのでしょうか。
「家族は自死で亡くなった」というのが勇敢で最善の選択肢か?
自死遺族にとっては、愛する人が自死したというのは、これまでの人生で直面したことがないほどの大きな衝撃です。自死を選ばざるを得なかった家族に対して、自分は十分な助けの手を伸ばしていたのだろうかと、悔しさ、悲しさ、そして自分や自死した家族に対する怒りで自分の身が焼き尽くされそうになります。
そんな状況において、「何かが起こった」ことだけを知っている他人がやってきたとします。
この際、「家族は自死で亡くなった」というべきか、それとも「別なこと」をいうべきでしょうか。
最近はメディアなどで、「家族が自死だったことを顔出しして言う」方がよくクローズアップされます。そして、メディアはこうした人を「家族の自死を正面から受け止め立ち向かう、勇敢な方だ」と取り上げます。こういう風潮が出てくると、「家族が自死だ」ということを言わない、隠すことはとても後ろめたいことのように思う人もいるかもしれません。
しかし、ちょっと待ってください。自死遺族となったあなたにとって、「今」大切なことは、何でしょうか。
残念なことを先にお伝えします。
「家族が自死した」ことを近くに住む他人に伝えた結果、「適切な助けの手が差し伸べられる」ことはまずありません。
適切な助けの手とは、「実は自分も自死遺族で大変辛い思いをした。何もできないが話したくなったら連絡してきてください。一生懸命聞きます」というように、押しつけがましくなく、かつ自死遺族の感情をよく理解した「心に寄り添う」ことだと私は考えます。しかし、自死遺族の前にこのような方が来ることは、大変残念なことに99.9%はありません。
代わりに登場するのは、あなたの愛する家族が自死したことを「ニュース」「噂話」として消費したいだけの人たちです。
- 「2丁目の佐藤さんの息子さん、自殺したっちゃんだって」
- 「ちょっと暗い感じの息子さんだったわよね」
- 「あの感じじゃ、会社でもうまくやれなかったんじゃないかしらね」
- 「友達とか彼女とかもいたんだかいないんだか」
- 「家にこもってゲームばかりしてそうな感じよね」
そして、ダメ押しの内容がこれです。
- 「きっと、家族がちゃんと支えてあげなかったから、死んじゃったのよ。お父さん、お母さん、兄弟は何していたのかしら」
自分が愛する家族、そして愛する家族が亡くなっても生きていかねばならない自分と生き残った家族は、周囲からこういう対応をされることを望むでしょうか。
自死遺族となったあなたが今必要なことは、「自死遺族としての辛さ、苦しさと向き合いながら毎日を乗り越える」ことです。
毎日を生き延びるために必要なこと、手助けを得られる確率が高いことはできる限り試してみるとよいでしょう。逆に言えば、手助けを得られる確率が低いことや、自分の心をかき乱したり、興味本位の言葉の刃を向けてくる人を遠ざけねばなりません。無用なストレスはできるだけ少なくすべきです。
本当に大切なことが何かを考えたときに、「家族が自死した」と言わないことは、多くの場合にとってよい選択肢となる。私はそう思います。
「家族は自死で亡くなった」という前に気を付けたいこと
ちなみに、私は「家族は自死で亡くなった」という人を攻撃する意図は全くありません。
家族の自死と向き合ううえで、「家族が自死で亡くなった」と言わない、言えないことがあまりに重いと感じる人は、「自死で亡くなった」というのも1つの方法だと思います。
ただ、言う前にはよくよく考える必要があります。それは、
- 一度言った言葉は引っ込められない
- 自分だけでなく、家族にも影響が出る
ということです。
まず、「自死で亡くなった」と言わない場合は、後になって「実は自死だった」ということはできます。「あまりに辛かったから自死と言えなかったのだろう」と周囲は思うだけですし、自死してから時間が経過していれば興味本位の好奇心もずいぶんと減っています。自死したその時を知っている人もずいぶん少なくなっているかもしれません。
しかし、「自死で亡くなった」と言った後で、あまりに辛いからといって「実は自死ではなかった」という修正はできません。「自死で亡くなった」というのは一方通行で逆戻りできない、引っ込められない言葉です。それゆえによくよく注意する必要があります。
次に、「家族が自死で亡くなった」というと、自分だけでなく各家族の交友関係にも知れ渡ります。例えば、兄弟が「家族が自死だった」と言った場合、自死であることを言いたくない父や母の交友関係にも知れ渡る可能性が高いということです。家族間で「自死だったと言いたい」「言いたくない」の意見が分かれるのは自然なことです。ただ、「言ってしまえば言葉は引っ込められない」ため、「言いたくない」家族に最大限の配慮が必要です。例えば、自宅から離れた会社関係の人には言うが、地元の友人には一切言わない、といった配慮です。
繰り返しますが、「家族は自死だった」といった後、言葉は引っ込められません。そこで自分が受けるだろう不利益、家族が受けるだろう不利益をよくよく考えましょう。
言う、言わないは1と0ではない
自死に関して他人に言う、言わないは1と0のように、完全に白黒がつくものではありません。
例えば、「信頼できる友人にだけは言う」「遠くに住む親戚にだけは言う」ことは良い方法だと思います。
言うと決めたからと言って、自分に悪い影響を及ぼしてくる可能性がある人を含めて、全員に言う必要はありません。この人であれば大丈夫、という人に限定して伝え、助けてもらう、話を聞いてもらうというアプローチは現実的です。
また別なアプローチとしては、「かなり後になってから言う」という選択肢もあります。
例えばミュージシャンのYOSHIKIさんは、10歳の時に父親を自死で亡くしていますが、それを公表したのは40歳を過ぎた後になってからです。ちなみにYOSHIKIさんの場合、自死だと言わなかったのは「父が自死した翌日から父について触れられなくなった」という、家庭の影響が強いため「自死と『言えなかった』」という縛りが強かったのではないかと推察します。しかし、いずれにせよ「自分で『言っても大丈夫』という状況になってから言った」という冷静な判断はとても参考になります。
言う、言わないは皆さん一人一人の人生においてとても大切な要素になります。メディアを見て「言うことが素晴らしい、言わないのは逃げだ」という短絡的・理想主義的な考え方ではなく、「自分が大切なものを守るためには、どちらがいいのか」という現実的な考えを持っていただければと思います。