自死遺族が1日を乗り越えることがどれだけ大変かを理解する

誰にでも平等に訪れる1日。この1日を「やり過ごす」ことが自死遺族にとってどれだけ大変か。

「自死遺族の苦しみ」と一言でまとめてしまうと漠然としてしまいますが、自死遺族にとって「1日をやり過ごす」ことこそが最も辛いことなのではないか。そう思い、書きました。

 

 

1日中、そして終わりなく続く

愛する人が自死した後、一般的にはさまざまな感情の大波がやってきます。

そして、その大波が去った後に自死遺族として最も辛い時間がはじまる。そう感じる方が多いようです。

 

朝、
目を開けたくない。ふとんから出たくない。部屋から出たくない。シャワーを浴びたくない。家族と会いたくない。服を着替えたくない。ちゃんとした時間に起きられない。自己嫌悪。

日中、
早く時間が過ぎて一日が終わらないかだけ考えている。食事も食べたくない。何もやる気がしない。家の外に出るのも億劫だ。ピンポンが鳴ったが出たくない。

夜、
なぜ明日という日が来るのか恨めしく思う。眠れない。ふとんの中でスマホを見ても気がまぎれない。このままでは明日も起きられない。焦る。

そして、朝も昼も夜も、自死した愛する人を思い出します。

 

自死遺族でない方は想像してみてください。「自死遺族が辛い」というのは、沸騰するような感情に身を焼かれ、活動ができなくなり、そのことにより自分を責める。そして、これが毎日繰り返されるということです。

このループからいつ抜けられるのかは、全く分かりません。すべきことがあっても、守らねばならない人がいても、達成したい目標があっても、できないのです。

 

 

「努力不足」ではない。もう努力しすぎるくらい努力している

自死について理解のない人の中には、「ご家族の方が亡くなられたとはいえ、いつまでもそれを引きずっているのは努力不足」だという人がいまだにいます。

自死遺族、という言葉が一般的になりつつあるので、口には出さないが、実は努力不足だと思っている人も少なくありません。

しかし、もちろん自死遺族が努力不足であるわけではありません。

例えば、「1日何もできない」「家事も仕事もできない」「生活リズムもめちゃくちゃ」という自死遺族がいたとして、その人は怠けているのでしょうか。

違います。

その人は「1日をやり過ごす」、いや「1日を乗り越える」という、辛く苦しい、そしていつ抜けられるか分からない苦闘に毎日挑んでいるのです。

 

「朝の来ない夜はない」という言葉があります。

しかし、「いつ朝が来るか」分からない状態で、辛く苦しい明日を迎えることの恐怖こそが、自死遺族が最も辛いことではないか。筆者はそう思います。

 

 

家族・友人は「1日を乗り越える」苦闘に共感する

人間は、「合格した」「賞を取った」「何かをやってくれた」「お金をたくさん稼いだ」「昇進した」というように、物事を達成したり、行動したりしたときに、賞賛や感謝の言葉が出てくることが多いと思います。

もしあなたの愛する家族・友人が自死遺族として苦しんでいるとしたら、あなたに対して「素晴らしい行動」を取ってくれることは難しいでしょう。

しかし、自死遺族にとって最も辛い「1日を乗り越える」ということに直面していることを忘れないでください。

「1日を乗り越える」辛さに向き合うことは、誰かから賞賛されることではありません。

賞賛されるどころか「生活リズムがめちゃくちゃ」「家事もやらず怠けている」などと言われることのほうが多いかもしれません。

 

しかし、毎日の辛さと真剣に向き合っていることこそ、賞賛に値するのではないでしょうか。

自死遺族となった家族や友人が、誰からも賞賛されない辛さを毎日、毎日乗り越えていることに思いをはせて、あなたならではの共感の言葉をかけてあげてください。

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