定期的に浮上してネット上で語られる「過労による自死は自己責任」論についてです。自己責任論の多くは本質から外れた話なのではないか、と思ったので、「自死遺族を支える」という本サイトのテーマからは少し脱線しますが書いてみました。
私自身の話
個人的な話をさせていただきます。
新卒で入社した会社は有名な外資系IT企業で、定期的なリストラはあるものの、給料もよく、働き方も自由で、いわゆるホワイト企業に属していたのではないかと思います。
しかし、部署によっては日本企業から転職してきた中途採用者が持ち込んだ体育会系のカルチャーがあり、そうしたカルチャーと全く合わなかった私は、自分自身が職種に適性がなかったこともあり、精神的に追い込まれていきました。
今振り返れば、その時点で病院に行くべきだったのですが、当時はまだ一般的でなかったSSRIを個人輸入して毎日服用して、「会社に行きたくない。明日世界が終わらないものか。乗ったら必ず墜落する飛行機はないものか」などと思い、日々をやり過ごしていました。
あの当時に自分を追い込んでいたのは、視野狭窄(しやきょうさく)です。
今思えば、「会社辞めて転職すればいい」「辞めても失業保険も生活保護もある」「当座戻ることができる実家もある」「誰か守るべき人がいるわけでもない(当時独身)」と思えるのですが、その時は「辛い会社に毎日通う」か「生きることをやめるか」しかなかったように思います。
この頃の私の状況を的確に表しているのが、こちらの「しお」さんのTweetです。
「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 1/2
むかーしの体験談と、そのとき思ったこと。よければ拡散してください。 pic.twitter.com/tImNNIOG56
— しお(汐街コナ)@「死ぬ辞め」発売中 (@sodium) October 25, 2016
「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 2/2
イジメで自殺するような子も同じような状況に陥ってると思います。
洗脳前に動くのが大事だ!洗脳されかかってたらとにかく寝るのが大事だ! pic.twitter.com/dzqLFZB8Db— しお(汐街コナ)@「死ぬ辞め」発売中 (@sodium) October 25, 2016
私自身はその後、「まあどうなってもいいや」と吹っ切れて、その部署では低評価を食らってリストラに遭遇するも、運よく別な部署に行って食所を変更したら高く評価されて生き延びました。
何故、吹っ切ることができたか、それは「単なる偶然」です。自分の努力によるものではなかったです。
視野狭窄に陥った人に対する言葉の暴力
今振り返って思うのは、自分が生き延びたのは「単なる偶然」であり、よほど神経が図太い人、家や自身に資産がある人、自己肯定感が非常に高い人以外は「視野狭窄による自死の危険」から逃れられないのではないか、ということです。
ホワイト企業にいた私でさえ、思い詰めて視野狭窄になってしまうのですから、拘束時間が長く、休暇が取りにくく、ある種の洗脳(辞める奴は負け犬だ、的な考え)を行っているようなブラック企業であれば尚更、視野狭窄になりやすいでしょう。
ごく一部の人を除くと、この視野狭窄に陥る危険はあらゆる所にあります。視野狭窄に陥る危険から完全に逃れることはできないのです。
視野狭窄に陥ったら、何かしらのキッカケによってうまく抜けられる場合もあれば、抜けることが出来ず自死を選んでしまったり、心身のバランスを崩してしまう場合もあります。
こうした理解なしに、自死をしてしまった人や、心身のバランスを崩してしまった人に対して「自己責任」「弱い」などということは、言葉の暴力です。
(話はそれますが、自死遺族に対して「家族の自死から立ち直れないなんて弱い」という言動も、視野狭窄とは違いますが暴力であることに変わりありません)
攻撃的な言説を見ない、読まない
自死や自死遺族に関して、ネットで見たり読んだり、また同じ経験を持つ人たちが痛みを分かち合うことは素晴らしいことです。
しかし、ネット上には自死や自死遺族に関して攻撃的な言説が多く転がっています。
攻撃的な言説に賛成する人と、反対する人が相互に炎上していることもよくあります。
こうした言説を読んで、考えて、思い悩んで心を痛めるのは、大変にもったいないことです。
自死や自死遺族を攻撃する人は、これまでも多くいましたし、今後も多くいるからです。決していなくなりません。
いくら反論したところで、他人の思想は変えられません。
大切なのは、こうした言説は見ない、読まないことです。
あなたの人生には全く接点のない人、生涯会うことのない人が、あなたを含む集団を貶める文章を書いて、それで傷ついたとしたら大変にもったいないことです。
攻撃的な言説を書き連ねる人に、あなたの痛みは絶対に伝わりません。むしろ、さらに貶める材料にしかなりません。
ネット上にいる「あなたの痛みが理解でき、かつ攻撃的な言説を読んでも傷つかない誰か」が反論してくれることでしょう。
自身を傷つけるような言説にあえて近づくのは、誰も勧めていないのに、自ら毒を飲みにいくようなものです。
自死遺族の方は、自らの精神と肉体の安定を保つことが最も大切です。
あえて、精神と肉体を害するものには近づかないでください。