自死遺族に対する「しっかりしなきゃ」という暴力

自死遺族は、理解のない人から「こんな時こそ、お母さんなんだからしっかりしなきゃ」「ご家族を支えるためにしっかりしてくださいね」など、「しっかりしなきゃ」と言われることがあります。

これは、控えめに言っても善意の形を借りた言葉の暴力といってもよいものだと思います。

 

「しっかりする」とは何か?

そもそも、しっかりする、とは何でしょうか。

まず、「しっかりしなきゃ」という発言をする人は、実際の所、そこまで深く考えずに「激励」の意味を込めて発言しているのだと思います。

(深く考えたら、「しっかりしなきゃ」などと言えるはずがありません)

あえて「しっかりしなきゃ」を分解すると、「愛する人の自死に直面してもなお、配偶者、子供、親族など支えるべき人を支えていられるように、強くあれ。落ち込むな」ということでしょうか。

 

しかし、多くの自死遺族は、人生において最も辛い日々を過ごしているわけです。

しっかりしなきゃ、とは「人生において最も辛い状況にある人に対して、『強くあれ、落ち込むな』ということ」だと考えると、あまりに残酷で理解がないと言ってよいかと思います。

うつ病の人に対して、「頑張れ」というのと同じくらい残酷な言葉の暴力です。

 

よって、自死遺族は誰かから「しっかりしなきゃ」などと言われても気にする必要はありません。

もし「しっかりしなきゃ」という人がいれば、その人は頼れない人、悲しみや嘆きを聞く気がない人、無理解のまま言葉の暴力を気軽に言う人だとラベリングしてよいかと思います。

頼れない人は、最も辛い時期に会ったり話をしたりすべき相手ではありません。

 

 

自死遺族は言われなくても、しっかりしなきゃと思っている

家族のために、自分のために、思うような毎日を過ごし、「しっかりしなきゃ」と思っているのは、他でもない自死遺族本人です。

しかし、「しっかりしなきゃ」と思うだけで精神が立ち直る、強い感情をやり過ごせるほど自死遺族の悲しみは浅くありません。

「しっかりしなきゃ」と思えば思うほど、悲しみの底にいて活動的になれない自分との落差に苦しむことになります。

感情を押し殺して、しっかりしているように見えたとしても、それは感情にふたをしているだけです。

 

よって、必要なのは共感と傾聴です(このサイトの最重要キーワードです)。

支える人は、悲しみの底にいる人に「自分は同じ経験をしたわけではない。でも、もし立場が逆だったらどんな感情になるだろう」と考え、心を動かし、悲しみの大きさを感じ、理解することが必要です。

感じて、理解したうえで、その感情を言葉にしてみましょう。

間違っても、安易な激励や励ましをすべきではありません。

 

 

しっかりしなくていい

悲しみ、苦しみ、後悔、怒りといった感情を抑え込む必要はありません。

しっかりしなきゃ、という名のもとに感情を押し殺すと、強い感情が慢性化してしまいます。

一番辛い時期は、しっかりすることではなく、荒波にようにやって来る「強い感情」に向き合うだけで十分です。

しっかりしなくていいです。いや、逆に、しっかりしようと頑張りすぎてはいけません。

 

支える側の家族からすると、しっかりしなくてもよい状況を作ってあげられるのが最良です。

長い時間を一緒に過ごして話を聞いて共感するとともに、生活面に関する不安をできるだけ取り除いてあげることです。

もちろん、完璧にはできません。経済的な不安があったり、逆に一緒に過ごす時間が限られたりします。

同居している家族、同居していない家族、信頼できる友人、カウンセラーなど、使えるリソースはフル動員して、不安が少ない状況をつくって「しっかりしなきゃ、なんて思わなくてもいい」と言ってあげられるとよいですね。

全ての自死遺族と支えるご家族をいつも応援しています。

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