自死遺族を励まそうとする人の一部は、知識不足のため、悪意はないが見当違いの励まし方をしてしまうことがあります。
これは、自死遺族をさらに傷つけることにつながりかねません。
「あなたには何々があるから」という励まし方は逆効果
愛する人を失って強い衝撃を受けた自死遺族にとって、亡くなった人を別な人やもので埋め合わせることはできません。
「リンゴがないから、みかんを食べればよい」とはなりません。
しかし、この論法で「あなたは全てを失ったわけではない。何故なら何々があるじゃない」という励ましをしてくる方はかなり多いのです。
例えば、配偶者を亡くした人に「苦しいのはよくわかる。でも、あなたには子供がいる」と励ましたり、
息子を亡くした人に「息子さんが亡くなったのは悲しいことだ。でも、あなたには元気な娘さんがいる」と励ますようなものです。
こうした励まし方をする人が言いたいことは、
「あなたは全てを失ったわけではない。幸せを感じることができる要素を持っている。だから、生涯絶望の中にいるわけではない。大丈夫」
といった内容です。
しかし、配偶者を亡くした人が、子供が生きているからと言ってその悲しみを埋め合わせることができるのでしょうか。
息子を亡くした人が、娘が生きているからと言って無念さは減るのでしょうか。
母親を亡くした人が、父親が生きているからと言って辛さを感じずに済むのでしょうか。
答えはノーです。
子供が生きていても、配偶者を亡くしたことの悲しみは減りません。
娘が生きているからと言って、息子を亡くした無念さは変わりません。
父親が生きていても、母親を亡くした辛さが和らぐわけではないのです。
こう書き出してみると、全く励ましになっていないどころか、自死遺族の辛い感情に向き合っていないことがすぐわかります。
あたかも、「悲しい」「辛い」「悔しい」といった感情を取り扱いたくないから、妙な励まし方でポジティブなムードを出して、自己満足しているかのようです。
しかし、意識せずにこの手の励まし方をする人は多いのです。
相手の感情に一緒に浸る
自死遺族となった家族、親族、友人がいる人は、「下手な励まし方」は無意味なだけでなく逆効果であることを知っておきましょう。
「何々がまだ残されているから、いいじゃない」といった発言は、「自分の悲しい、辛いといった感情には目を向けてくれないのか」と思わせ、自死遺族を傷つけます。
色々と意見はあるでしょうが、自死遺族を支える時に、妙に話の方向性をポジティブにする必要はないと私は思います。
話の方向性をポジティブにして、何となく前向きな話としてまとめたところで、自死遺族はそんな薄っぺらいものでは覆いきれない悲しみや悔しさに満ちているからです。
必要なのは、悲しみや悔しさ、怒りといった強い感情に共感して、一緒にその感情を持つことです。
悲しみや悔しさといった感情の種類を知るのではなく、相手と同じくらいの悲しさや悔しさを持つくらいに感情を再現することです。
他のもので感情を埋め合わせるようなことを言うのではなく、相手の感情にどっぷり浸りましょう。
強い感情にどっぷり浸かるのは楽なことではありません。
悲しみ、悔しさ、怒り、虚しさを再現して追体験するのは、自分の感情も大きく揺り動かされます。
精神的な消耗、疲労を求められる作業でもあります。
しかし、楽ではないからこそ、誰でもできるわけではないからこそ、大切な人を支える意味がある行為なのです。