自死遺族を支える人は常に肯定的でいるよう心がける

自死遺族を支える人は、自死遺族が発する悲しみ、辛さ、怒りといった強い感情に一緒に押し流されてしまいがちです。

支える人も自死遺族と一緒に自暴自棄になってしまうことさえあります。

しかし、支える人は常に肯定的でいるように心がけるようにしましょう。

 

肯定的でいるとはどういうことか

自死遺族の大前提として、残念ながら愛する人は再び戻っては来ません。しかしながら人生は続きます。

自死と言う別れ方、そして愛する人がいない人生を生き続けることに大きな辛さ、苦しみがあります。

そうした自死遺族に対して肯定的でいる、とはどのようなことでしょうか。

これは言うのは簡単ですが、少し掘り下げると大変難しい問いですし、人により定義は違います。

 

以下は私の考えです。

「愛する人がいない人生など、生きる意味がない」「辛い、苦しい、悔しい、悲しい」と言う自死遺族に対して、肯定的でいるということは、次の2つではないかと思います。

1つめは、「愛する人を失ってもなお、あなたの人生そのものには意味がある」という、自死遺族自身の生そのものを肯定するということです。

2つめは、「あなたがいると、私は幸せだ。私(支える人)の人生を幸せにしてくれるあなたの人生には意味がある」という、自死遺族を支える人の視点で生を肯定するということです。

 

もちろん、これに対しては容易に反論されてしまいます。

「愛する人がいない人生など意味がない」「あなたは幸せかもしれないが、私は不幸だ」といった反論です。

しかし、こうした反論に対して揺るがず、一貫して「あなたの生そのもの、私を幸せにしてくれるあなたの存在に意味がある」と言い続けること、これが「肯定的でいること」ではないかと私は思います。

自死遺族がどう考えても肯定的になれないからこそ、支える側が常に肯定的でいること、否定的にならないこと、生を肯定することが必要です。

 

そして当然といえば当然ですが、肯定的なメッセージを常に言葉で伝えるようにしましょう。

「言葉に出さなくても分かってもらえる」という人もいるかもしれませんが、言葉に出さないと伝わなかったり、言葉に出すとさらに多く伝わります。

「言葉に出そうとすると、否定的なことを言ってしまいそうになる」のでなければ、積極的に思いや愛を言葉で伝えるべきです。

 

 

肯定的でいられない時は、支える人が疲れている時

「今日も頑張って愛する人を肯定的に支えよう」「一貫して肯定的なメッセージを送ろう」と思っても、自死遺族による辛い言葉や怒りを多く吸収してしまうと、支える人も疲れてしまいます。

以前に執筆した「自死遺族を支える家族は、自身が燃え尽きないよう注意する」の記事でもご紹介したとおり、一生懸命になりすぎて常に一緒にいることで精神的な逃げ場がなくなります。

それでも頑張ろうとすると、つい「支える私だって大変なんだ」「いい加減にしてほしい」など、怒りの言葉が出てしまいます。

普段ならやり過ごせる、自死遺族のふとした言葉や態度にイライラしてしまう時は、まずは自分が疲れていないかどうか確認しましょう。

そして、疲れているのであれば、いったん離れて自分のための時間を取りましょう。

外でコーヒーを飲むでもいいですし、一人で映画やドラマを見るのでもいいですし、友達に会うのでもいいです。

自分がリラックスできること、楽しいことをしましょう。

自死遺族を支えることとは別なことをすることで、精神的な疲れを和らげ、再び肯定的に支える気持ちになれます。

 

 

肯定的に支えるのは長い旅のようなもの。短距離走ではない

大切なのは、長期間安定して支え続けることです。短期間だけ頑張って燃え尽きては意味がありません。

支える側が取り組んでいるのは、100メートル走ではなく、長旅であると理解しましょう。

長旅であるからこそ、一日中観光をすることもあれば、数日休むこともあります。

これら全てが旅であるように、直接的に支えていない時であっても、それは大きな視点で見ると「支える『旅』」です。

肯定的であるべく努力し、エネルギーを使い、疲れてエネルギーが減ってきたらイライラする前に回復させ、そして再び努力に向かう。

こうした繰り返しを粛々と続けることが、肯定的に支えるということではないかと思います。

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