回復を信じ続けるのは意外と大変
自死遺族として打ちひしがれている家族や大切な人を目の前にしたときに、多くの人は「自分が頑張ってどうにか支えなければ」と思うはずです。
しかし、深い悲しみに打ちひしがれた状態が長く続くのを見ると、「本当に回復してくれるのだろうか」「『朝の来ない夜はない』というが、本当に朝が来るのだろうか」と信じられなくなる時もあります。支える側もしんどいのです。
- 愛する人の回復を信じられないほど疲れてしまっているとき
- 支えるのに頑張りすぎてしまったとき
- 辛さを受け止めすぎて精神のバランスが崩れていると感じたとき
- 昼夜逆転に付き合って肉体的にしんどいとき
このようなときに「必ず回復する」という信念がつい揺らいでしまって、回復への疑念がついうっかり口に出てしまうことがあります。
苦しんでいる自死遺族からすると、周囲の人が「自分の回復を信じていない」のは大変に辛いことです。
ただでさえ、自死遺族となり日常生活が営めていないことに強い罪悪感、自己嫌悪感があるが、それでも何とか生きているのは、「この苦しみをやり過ごした先には、回復が待っている」と思っていたり、「愛する人たちにこれ以上迷惑をかけられない」という思いだったりします。
しかし、自分が回復しないのであれば、今後もずっと迷惑をかけ続けることになり、そして今と同じレベルの苦しみが続くことを意味します。
よって、支える側の人間は、自死遺族をさらに苦しめるような「回復を疑う言動、態度」をしてはいけません。しかし同時に、信じ続けて言動や態度に一切出さないようにするのは、なかなか大変なことでもあります。
愛する人に対して「愛と回復」の言葉をかけ続ける
ここでお勧めしたいのは、「愛と回復の言葉をかけ続ける」ことです。
具体的には「大丈夫、私が支え続ける。今は苦しいけど、時間が経つと必ず良くなる。愛している」と言い続けることです。思っているだけでなくて、自死遺族で苦しむ相手に対して、繰り返し、繰り返し言うことです。
支える側もいっぱいいっぱいになると、「本当に回復するかどうか正直分からない」「こうした苦しみの日々がずっと続くのではないか」という思いにとらわれることがあります。
しかし、こうした言葉を繰り返し相手にかけてあげることが習慣になっていると、自分も自分自身の言葉で自己暗示にかかる、つまり「大丈夫だと思える」のです。
また、普段から愛と回復の言葉をかけ続けていれば、とっさの場面でうっかり「回復を疑うような発言」をしてしまう危険を減らせます。愛と回復の言葉をかけることが習慣になっているので、それと真逆の言動をとっさにしてしまうことは大きく減ります。
そして何よりも、「自死した愛する人、生き残った家族や恋人に対して、自分を責め続けている」自死遺族にとって、「回復を微塵も疑わない、揺らがない存在が周りにいて、一貫して温かい言葉をかけてくれる」ことほど、安心できることはありません。
日々、悲しみ、怒り、申し訳なさ、自責といった感情の大波がジェットコースターのようにやって来る自死遺族からすると、どっしりと安定した存在が近くにいて支えてくれる。それも、暖かい声をかけてくれる。それだけで、回復の道に近づくことができます。